浜口卓也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 02:14 UTC 版)
浜口 卓也 はまぐち たくや | |
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生年月日 | 1980年10月22日(42歳) |
出生地 | 高知県高知市 |
出身校 | 早稲田大学第二文学部 |
現職 | 高知市議会議員 |
所属政党 | 自由民主党 |
公式サイト | 浜口たくや公式HP |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
2011年 - 2019年 2023年 - |
来歴
高知県高知市・福井町に生まれる。幼少の頃は同町内のみかづき第二幼稚園に通った。
学生時代
高知大学教育学部附属小学校、高知学芸中学・高等学校を経て早稲田大学教育学部に入学。大学の同期生には同郷の広末涼子、プロ野球選手の和田毅らがいる。その後第二文学部に転部し、同学部を卒業。専修は文学・言語系。中学では剣道部、高校ではテニス部に所属した。
政治の道へ
2004年より衆議院議員中谷元の私設秘書として活動。2011年、高知市議会議員選挙に出馬し、2,618票を得て初当選。2015年の同市議会選挙では3,693.220票を獲得。2期目の当選を果たした。1期目は無所属、2期目は自由民主党からの出馬。当選後は両期とも会派「新こうち未来」の一員として活動した。
主な活動
- 2014年
- 7月:安藤忠雄講演会3GOOD GROOVE SUMMER heisei26を主催。
- 2015年
- 2月:高知龍馬空港へのLCC路線誘致活動を主導。中央省庁から県、低価格路線の運航会社にまで広がる協議の流れを作る。
8月:ヤンゴン市(ミャンマー)にて副市長と意見交換。 - 2016年
- 1月:スリランカ訪問・大統領と面会。
9月:高知市立高知特別支援学校での体罰事件を受け、高知市議会で質問。 - 2017年
- 9月:新図書館西敷地利用事業のプロポーサル募集の延期を求める件への賛成討論。
6月:準防火地域・準耐火建築としては国内民間初のCLT工法建築物の建築に実行委員として携わる。 - 2018年
- 10月:西敷地の利用をめぐり、民間高層建築物の建築に反対、市民のための広場を求める署名8464筆を市長に提出。
- 2019年
- 1月:市長選への出馬を表明。
- 7月:アゼルバイジャン訪問。シャマフ市のタヒール市長と面会、アゼルバイジャンでは初めての桜移植プロジェクトと教育連携について協議。
- 11月:高知市長選挙へ出馬するも落選。得票数は15,107票。
2019年高知市長選
2019年1月16日、上述の西敷地利用に関する紛糾、また浦戸道の駅構想をめぐる問題、更に仁井田産業団地の計画頓挫[1]など、行政手法の杜撰さと政治的な意思決定プロセスの実態に関する疑惑が相次いで取り沙汰される中、同年11月の市長選に出馬する意向を表明。1月23日には高知県庁で記者会見を開き、正式に立候補を表明した。会見では「高知市の衰退に歯止めをかける」ことを強調。「行政サービスも税収の増加なしには、将来に希望が持てない」とし、「豊かな経済が、自然環境をさらに美しくするような新たな経済モデルの構築」を訴えた。また、世界各地の都市と経済・環境等の分野で協定を結ぶ都市外交の必要性に言及し、高知市の持続可能性を維持する条件として「人口規模50万人~100万人」を提示。会見当時から無所属で出馬する意思を明らかにしており、5月16日、市議の任期満了を待って正式に自民党を離党した[2]。
2023年高知市議会議員選挙
2023年4月16日公示の高知市議会議員選挙に自由民主党の公認候補として出馬。在野期間中に農業研修生として学んだ経験を糧に、新たに「持続可能な一次産業の確立」を提唱。改めて高知市の将来的存続の危機を訴え、上記の一次産業支援の他、経済、子育て・教育、防災、エネルギー分野、行財政改革を主要政策として発表している。
同年4月23日投票の選挙で、当選。
- ^ “仁井田産業団地が頓挫 高知市 用地買収を断念”. 高知新聞. 2019年9月1日閲覧。
- ^ “高知市長選出馬で浜口卓也氏が自民離党”. 高知新聞. 2019年9月1日閲覧。
- 1 浜口卓也とは
- 2 浜口卓也の概要
- 3 政見・政策
- 4 人物・エピソード
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