河竹黙阿弥 人物

河竹黙阿弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 06:00 UTC 版)

人物

家族と門弟

一人娘に絲女(いとじょ、また単に「絲」とも、新字体:糸)がいる。坪内逍遙の斡旋でその絲女の養子に迎えたのが、後に早稲田大学名誉教授・演劇研究家として知られた河竹繁俊。そして繁俊の次男が同じく早大名誉教授で演劇学者の河竹登志夫である。

また門下には三代目河竹新七竹柴其水、勝能進らがいる。

安政江戸地震

安政江戸地震(1855年)では「人は一代のうちに必ず災害に遭う」と考え、土蔵の縁の下に500円分の金貨を残し、関東大震災で無事であった[7]。 

「河竹黙阿弥」という名前に関して

「黙」の字の意味

二代目河竹新七が「黙阿弥」に名を改めたのは彼の引退時であった為、 「黙阿弥」という名前は(改良演劇論者の批判に対して)「黙して語らず」の意味でつけられたものとして解釈される事が多い[8]

しかし黙阿弥の義理のひ孫にして演劇学者の河竹登志夫によれば、実際の意味は「むしろ、これまでの推測とは正反対」[8]のものであるという。黙阿弥は『著作大概』の中に「以来何事にも口を出さずにだまって居る心にて黙の字を用いたれど、又出勤する事もあらば元のもくあみとならんとの心なり」と書いており、河竹登志夫によれば「これはあきらかに、いまは黙るけれども「元のもくあみ」すなわち現役作者に戻ってまた「出勤」する事もあり得るという意味にしか、解しようがない」のである[8]

「河竹」という名字

今日黙阿弥は「河竹黙阿弥」という名で呼ばれるが、黙阿弥の筆名は正式には「古川黙阿弥」であった[9]。ただし「河竹黙阿弥」という名も黙阿弥自身も生前よく用いており[9]、没後は弟子の竹柴其水の進言で「河竹黙阿弥」に統一された[9]

なお戦前の辞典には「河竹という名字は生前は使われなかった」とするものがあるが、これは昭和7年に新潮社から『日本文学大事典』が出た際に事実を知らない校正者が無断で訂正した事に起因する間違い[9]であり、実際には前述のように生前にも使われている[10]

『日本文学大事典』の黙阿弥の項を執筆したのは黙阿弥の義理の孫の河竹繁俊であり、繁俊は前述の校正者の訂正を自身の随筆できびしく修正している[9]


  1. ^ 今紀文と呼ばれた細木香以が後援者の一人であった[2]
  1. ^ a b すみだゆかりの人々 1985, p. 9.
  2. ^ 野崎左文『増補私の見た明治文壇1』平凡社、2007年、136p頁。 
  3. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)9頁
  4. ^ すみだゆかりの人々 1985, p. 8.
  5. ^ 野崎左文『増補私の見た明治文壇1』平凡社、2007年、151p頁。 
  6. ^ すみだゆかりの人々 1985, p. 10.
  7. ^ 松井今朝子 (2015年9月4日夕刊). “なゐの備え”. 日本経済新聞 
  8. ^ a b c 河竹登志夫『黙阿弥』、講談社学芸文庫、p190からの「「黙」の字の真意」の節
  9. ^ a b c d e 河竹登志夫『黙阿弥』、講談社学芸文庫、p271
  10. ^ この間違えは他にも平凡社の『日本人名大事典』でも秋葉芳美により踏襲された。(河竹登志夫『黙阿弥』、p271)


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