桜の園 批評

桜の園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/08 02:22 UTC 版)

批評

1903年10月19日 妻オリガ・クニッペルの手紙[2]

ついにきのうの朝、それはまだベッドのなかのわたしにとどけられました。どんなにわたしが震えおののきながらそれを手にし、封を切ったか - あなたには想像もつかないでしょう。3回十字を切りました。すっかり目を通しおわるまで、ベッドから起き上がりませんでした。むさぼるように読みふけりました。第4幕では声をあげて泣きだしてしまいました。第4幕は素敵です。戯曲全部がとても気に入ってます。わたしは月並なことしか書けません。あなたの作品には綺麗な洗練された言葉が必要なのに。

1903年10月22日 演出監督スタニスラフスキーの手紙[3]

私の考えでは、『桜の園』はあなたの最高の戯曲です。あの愛すべき『かもめ』より気に入ったくらいです。あなたは「喜劇」とか「笑劇」と書いていましたが、これは悲劇です。最後の場面でよりよい生活にむけての出口をあなたがいかに探っているとしても。印象は圧倒的です。それが静かな声と優しい水彩絵の具彩で達成されているんです。

1948年 神西清「チェーホフ序説」[4][5]より

これまで無数に繰り返され、これからも無限に繰り返されるであろう常套事に直面して、ある者は泣き、沈み、あるものは茫然自失し、ある者は鍵束を床へ投げつけ、ある者は夢かと疑い、楽隊はためらい、万年大学生は「新生活への首途」を祝う。これがどうして「喜劇」として通らないのであるか。チェーホフとしては何としても腑に落ちなかったに違いない。

1990年 佐々木基一「悲劇か喜劇か」[6]より

ピーター・ブルック氏の演出のものは、これまで見た舞台のどれよりも、納得のいくものだった。(中略) これは筋もなく葛藤もなく、人物たちのあいだに劇的関係というものがまったく存在せず、ひとりひとりが、互いに噛み合うことのない独白をしているだけといった『桜の園』の構造に、非常によくマッチした演出のように思われた。(中略) わたしははじめて本当のチェーホフ劇に接したような気がした。


  1. ^ 池田健太郎訳『チェーホフ全集 15 書簡』 中央公論社 1961
  2. ^ 牧原純中本信幸 編・訳 『チェーホフ・クニッペル往復書簡 2 1903』 麦秋社 1986
  3. ^ 沼野充義 『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』講談社 2016
  4. ^ 神西清 「チェーホフ序説」 『批評』1948年11月62号
  5. ^ 神西清 「チェーホフ試論 - チェーホフ序説の一部として」 『文芸』1954年11巻11月号
  6. ^ 佐々木基一 『私のチェーホフ』講談社 1990
  7. ^ 戦後初の新劇「桜の園」を公演(昭和20年12月26日毎日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p8 毎日コミュニケーションズ刊 1994年


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