松岡直也 楽曲提供

松岡直也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 04:47 UTC 版)

楽曲提供

曲名 発売 アーティスト 収録 参加内容
黄色いサクランボ 1970年 ゴールデン・ハーフ 『ゴールデン・ハーフでーす』 編曲
太陽がくれた季節 1972年 青い三角定規 『太陽がくれた季節/素足の世代』
青春の旅
華やかな孤独 佐良直美 『豪華版 佐良直美デラックス』
Carnival Love 1980年 ペドロ&カプリシャス 『オアシス』 作曲・編曲
Gafieira Night
リオの魔法使い 1981年 清野由美 『U・TA・GE』 作曲
ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕 1985年 中森明菜 D404ME 作曲・編曲
赤い鳥逃げた BEST III
月夜のヴィーナス BITTER AND SWEET
真夜中のオンディーヌ 1987年 長山洋子 『オンディーヌ』
ターミナル 1987年 畠田理恵 『Liaison ―RIE HATADA MINI BEST+1―』
世界を結ぼう 1993年 土田誠子、森の木児童合唱団 『みんなのうた 〜メトロポリタン美術館〜』 作曲
灼熱アモール…サウダージ 〜AMOR…SAUDADE〜 1994年 マルシア シングル 作曲・編曲
熱風エリア~Coração De Rosa~ シングル
あかロータス〜Chove Chuva〜 シングル
逆光線 シングル

エピソード

松岡が在籍した「浜口庫之助とアフロ・クバーノ・ジュニア」には一時、ハナ肇も在籍していた。その縁もあり、1960年、「ハナ肇とクレージーキャッツ」でピアノを担当していた石橋エータローが胸を患い一時休業した際、実現こそしなかったものの、クレージーの臨時メンバーにならないかと、松岡も声をかけられたという[7]


  1. ^ 松岡直也オフィシャルサイト”. 2014年4月30日閲覧。
  2. ^ ウィシングには村上ポンタ秀一や高橋ゲタ夫、向井滋春らが参加した
  3. ^ 1987年1月に12インチ・シングルとして発売された。
  4. ^ この時の再結成には全盛期のレギュラーメンバーである村上ポンタ秀一や高橋ゲタ夫、和田アキラ、土岐英史に加えて「松岡直也グループ」のメンバーだったカルロス菅野大儀見元が参加。ホーンセクションには菅野がリーダーを務める熱帯JAZZ楽団のメンバーが参加した。
  5. ^ “「ミ・アモーレ」作曲の松岡直也氏が死去”. 日刊スポーツ. (2014年4月30日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140430-1293378.html 2020年2月16日閲覧。 
  6. ^ [訃報]日本を代表するラテン・フュージョン音楽の第一人者の松岡直也さん逝去”. Yahoo!ニュース (2014年4月30日). 2020年7月25日閲覧。
  7. ^ 犬塚弘佐藤利明・共著『最後のクレイジー 犬塚弘』(2013年講談社ISBN 9784062184472)P.71-72より






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