東奥日報
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東奥日報(とうおうにっぽう)は、青森県内で購読されている朝刊単独の地方新聞。本項では発行者である株式会社 東奥日報社についても記載する。
注釈
- ^ 東奥義塾の命名は東奥日報より早かった。
- ^ ただし、1891年4月に一旦廃止し、1899年4月再設。
- ^ ただし、1890年9月に一旦廃止し、1910年9月10日に再設。
- ^ ただし、1891年4月に一旦廃止、1904年8月再設。
- ^ ただし、1890年9月12日に一旦廃止、1913年11月11日再設。
- ^ 開設時点では、下北支局と称し、田名部町に所在していた。
- ^ 板柳については、「通信部」開設により、取材拠点が復活する形になった。
- ^ 土曜日のみの夕刊休止は過去に沖縄タイムスと琉球新報が1993年から2009年2月まで第2土曜日のみ休刊していた(2009年3月以後、夕刊そのものが休刊となった)ほか、静岡新聞も2011年4月から毎週土曜日を休刊にしている他、朝日新聞も名古屋本社に限り2012年10月に土曜日の夕刊を休刊している。
- ^ それまでは、弘前市にある陸奥新報社と朝日新聞社の合弁会社「朝日弘前プリンテック」にて印刷されていた。
- ^ 在京AMラジオ局の記載は古く、1950年代後半(TBSラジオが「ラジオ東京」、ラジオNIKKEIが「日本短波放送」時代)には、既に記載されていた。在京ラジオ局で早くから掲載されていたのは、ラジオ東京である。
- ^ 表記の仕方、「RAB ①」、「NHK ③」、「HBC ⑥」
- ^ アナログ末期もチャンネル番号が掲載されていたが、青森本局と主要中継局の一部のみだった。
- ^ 当時は北海道テレビ(テレビ朝日系)・北海道文化放送と秋田テレビ(共にフジテレビ系)の番組欄は非掲載。
- ^ これは青森朝日放送のサービス放送開始による、枠確保のため。
- ^ 隣接道県のAMラジオ局では、最も掲載期間が長い。
- ^ 但し、1959年10月1日からテレビ放送を開始したRABでは、「今日の出来事」は、通常のテレビ欄に掲載されていた。
- ^ 2022年現在、その跡地には「東奥日報新町ビル・New'sホール」が所在している。
- ^ 2003年放送のRAB開局50周年特番より。
出典
- ^ “22年下半期ABC部数”. 新聞情報. (2023年5月3日)
- ^ Web東奥・ご購読申し込み - 東奥日報社(2017年3月9日閲覧)
- ^ Web東奥・東奥日報電子版ご購読のご案内 - 東奥日報社(2017年3月9日閲覧)
- ^ Web東奥・Q&A - 東奥日報社(2017年3月9日閲覧)
- ^ 「東奥日報百年史」(東奥日報社・1988年8月6日発行)620~627頁「支社・支局の推移」
- ^ 「東奥日報百年史」(東奥日報社・1988年8月6日発行)627~628頁「廃止された支局」
- ^ a b c d e 『東奥日報』1988年8月1日付け朝刊7面「東奥日報100年小史 主なできごと」より。
- ^ a b c 『東奥日報』1993年11月27日付け朝刊「東奥日報社ビル 完成 移転」広告記事より。
- ^ a b c d 出典:『東奥日報百年史』(東奥日報社・1988年8月6日発行)1頁~57頁「東奥日報」年表
- ^ 産経新聞2011年5月5日
- ^ 東奥日報、夕刊を休刊へ 日本経済新聞
- ^ “東奥日報が8月値上げ 月決め3900円に”. 東京新聞 (2023年7月11日). 2023年7月25日閲覧。
- ^ 東奥日報:2009年11月11日付朝刊 14ページより
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