放生津 放生津の概要

放生津

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 04:47 UTC 版)

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地名は同所の放生津八幡宮10月2日に行われている放生会にちなむ。「山王町」「中町」「奈呉町」の3旧町で構成される。近くの潟湖は放生津潟と呼ばれた。

鎌倉期に越中守護所が置かれた(放生津城)。室町期になると石清水八幡宮領となり、守護畠山氏に代わり射水郡婦負郡守護代神保氏が支配した。1493年明応の政変で自害した畠山政長の重臣であった神保長誠は、政変で幽閉された将軍足利義材が脱出して放生津に下向したため、正光寺を将軍御所として改装し迎えた(放生津幕府)。永正17年(1520年)に放生津城は越後守護代長尾氏の攻撃で焼失。近世に入り、加賀藩前田家領となった。

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