戦艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 01:03 UTC 版)
「戦艦」以外の巨砲搭載艦船
本来の「戦艦」には分類されないが戦艦と同等の巨砲を搭載した艦艇の例をここにあげる。
- モニター艦 低乾舷の船体に砲塔式の主砲を搭載した軍艦。戦艦の主砲塔を流用したものがある。
- ロシア 円形砲艦ノヴゴロド(1874年、2,491t、28cm砲2門)
- 大砲を撃つことだけを考えて建造された円形平底の艦。「セヴァストポリ要塞周辺にて運用する、移動可能な水上砲台」とのコンセプトの基建造された。
- 日本 防護巡洋艦松島型3隻 通称三景艦(1891年仏国製、4,278t、32cm砲1門)
- 日清戦争前に清国の戦艦定遠級2隻(1879年独製、7,220t、30.5cm砲4門)に対抗するため急遽建造された。艦の大きさに比べて主砲が過大であり、旋回させると艦が傾き、発砲すると衝撃で進路まで変わってしまうほどだった。日清戦争では主力艦として活躍し、黄海海戦では多数装備された副砲の12cm速射砲が活躍したが、主砲は3隻で12発を撃っただけで戦果はなかった(一説によると1発命中したという)。なお、建造に当たっては当初、イギリスに依頼をしていたが、当時としては非常識な注文だったため断られた。その後、イギリスへの対抗意識があったフランスが注文を受けてようやく建造されることとなった。
- イギリス カレイジャス級2隻(1917年、18,600t、38.1cm砲4門)フューリアス(1917年、19,100t、45.7cm砲2門)
- 第一次大戦でイギリスが対独上陸戦用に建造した大型軽巡洋艦。フューリアスは上記内容で設計されたが、完成時には前甲板の砲を撤去し飛行甲板を設け、後部に45.7cm砲1門を備えていた。対独上陸作戦は行なわれなかったため活躍の場はなく、戦後は3隻とも航空母艦に改装され、空母として第二次世界大戦に参加した。
- イギリス M級潜水艦3隻(1917年?、1,650t、30.5cm砲1門)
- 第一次大戦中に陸上砲撃用として建造された潜水艦。本来隠密行動すべき潜水艦に大きな音・光・煙を発する巨砲を搭載するのは矛盾であり、ほとんど活躍しなかった。
- ドイツ ポケット戦艦ドイッチュラント級3隻(1933年、11,700t、28.3cm砲6門)
- 第一次大戦の敗戦国ドイツがヴェルサイユ条約の制限下(1万t以下、30.5cm砲以下)に建造した艦。排水量は1万tと公表されていたが実際は制限を超えていた。重巡洋艦並みの防御と艦体に大口径砲を装備し大きな航続力を有し、第二次大戦初頭には通商破壊艦として活躍した。
戦艦は本来 battleship の直訳語である戦闘艦の略語が大日本帝国海軍他で使用された名詞であるが、今日では戦闘艦の意味が Combatant ship 相当へ、 沿海域戦闘艦 の影響もあって変化し(少なくとも戦艦からコルベットまでを含む)、戦闘艦=戦艦の意味で軍事有識者が使うことは稀となったが、古い文献等では注意を要する。また敢えてか無知かは別に、現代でも現代的意味の戦闘艦(Combatant ship)の略語として戦艦と云う用語を使う、或いは軍艦の意味で戦艦と云う用語を使う、メディア・個人・団体は存在する。
注釈
- ^ 「アイオワ」は1958年に現役を退いたが、ロナルド・レーガンの掲げる「力による平和」戦略の一環として生まれた600隻艦隊構想のもと、同型艦とともにミサイル艦として近代化改装を受け、1984年に現役復帰を果たした(2006年除籍)。
- ^ ジェーン海軍年鑑ではロシア海軍の運用するキーロフ級原子力ミサイル巡洋艦がその規模から巡洋戦艦に類別されている
- ^ ほかに浮き砲台に装甲を施した装甲艦も誕生したが、これは航海用ではなかった。
- ^ 15kmの射撃で落下角(水平と成す角度)がおよそ15度となる。
- ^ 第二次世界大戦において、2万メートルを切る「近距離」での戦艦同士の砲撃戦の例もある。デンマーク海峡海戦において、英巡洋戦艦フッドが、独戦艦ビスマルクと約1万4千メートルで交戦し、ビスマルクの38センチメートル砲弾によって撃沈された戦例など。
- ^ 海軍休日時代(1922〜1936年)の世界七大戦艦のうち長門型の速力26ノットは最速だった。対外的にはこれを秘匿し23ノットと発表し、高速戦艦としての知名度は低い。
- ^ レキシントン級巡洋戦艦はCCを用いていた
出典
戦艦と同じ種類の言葉
- >> 「戦艦」を含む用語の索引
- 戦艦のページへのリンク