岡田藩 岡田藩の概要

岡田藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 23:15 UTC 版)

江戸時代初期から廃藩置県まで伊東氏が一貫して10代にわたり藩主を務めた。石高は1万石余。陣屋は幾度かの移転を経ており、元禄年間には西国街道川辺宿(倉敷市真備町川辺)に陣屋を置いたことから川辺藩(かわべはん)とも呼ばれる。


注釈

  1. ^ この長実が大坂城に籠城した戦が、大坂冬の陣1614年)と大坂夏の陣1615年)のいずれにあたるのか(またはその両方にあたるのか)については、参考文献の著者であるまちづくり研究家の今津海wikidataらは明らかにしていない[1]。この点は、歴史家の本郷和人も、長実が城を出たのが冬の陣の後か落城の時かはよく分からないとしている[2]
  2. ^ ただし、横溝は鬼首村の地形上のモデルが疎開先の岡田村の「桜」という集落で、作品中にも登場させていると述べている[5]

出典

  1. ^ 今津海 & 八幡浩二 2023, pp. 42–43, 第2章 岡田藩の誕生.
  2. ^ 大坂で秀頼を裏切った元大名の浪人”. BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン). 本郷和人の歴史ニュース読み. 株式会社冬杏舎 (2022年5月1日). 2024年4月1日閲覧。
  3. ^ a b c d 真備町史編纂委員会 編『真備町史』岡山県吉備郡真備町、1979年5月、487-488頁。"三、川辺の殿様"。 
  4. ^ 義民四人衆による社会正義の実現”. 紀行歴史遊学 (2024年3月15日). 2024年4月6日閲覧。
  5. ^ 角川書店 編『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』角川書店、2012年5月25日、278頁。"金田一耕助はなお消えず 横溝正史(初出:1979年9月到知出版刊行『私の書斎III』)"。 
  6. ^ 永井義男 2013, pp. 85–87.


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