五代友厚 人物

五代友厚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/09 05:53 UTC 版)

人物

恵まれた環境

五代は小松清廉西郷隆盛大久保利通などの要人と知り合いだった。長州藩の高杉晋作や土佐藩の浪人坂本龍馬とも非常に仲が良い。このように一流の人物たちと関わり合える条件をもっていたことが五代の後の功績に役立った。加えて、五代が役立てたものは英語力である。当時から外交に英語力は欠かせなかった。特に薩摩藩城代家老小松清廉には重用されて恩義を感じ、小松死後はその妻(側室)子の面倒を見たことでも知られる。 また、当時の外交官(神戸)森山茂と交流があった友厚は、森山茂の実妹トヨ(通称 豊子)と再婚(明治3年)、活躍の場を一層広げる。親族の 永見家、宮地家、森山家共に人脈、経済力のあるバックグラウンドは、五代の交友関係、経済力、亡後の借金返済においても、恵まれた環境であったといえよう。

悪に対する厳格な態度

友厚の大阪との関わりは、明治の新政府成立後に始まった。新政府が諸外国との交渉窓口として外国事務掛を大阪に設け、五代を任命したのが起点である。この頃、大阪では日本人の無知につけこんだ外国商人の不正行為が後を絶たなかった。条約違反、購入料金の不払い、雇い人への賃金不払い等は日常茶飯事で、領事館の家賃不払いまでもが平気で行われていた。五代はこのような不正に対しては断固たる態度で臨み、一切の妥協を拒んだ。次第に五代が駐在する大阪港では外国船の荷物検査があまりにも厳しいという抗議が政府まで届き、政府が取り締まり緩和勧告を出すほどの騒動に発展した。しかし、五代は外国商人の要求の真意が荷物検査が行われることによる不満(脱税や不正行為ができなくなる為)であることを見抜いていたので全く動じなかった。

商売人にとって「信用」は最も大切であり、不正を容認することは信用を失い、不正を糾弾することでその信用を勝ち取ろうとする五代の信念があった。五代は商人である前に「正義」「大儀」を重んじる一人の武士であり、不正を見逃すことも国益を損なうことも出来ない性分だった。


  1. ^ 『官報』第692号「叙任及辞令」1914年11月20日。
  2. ^ 朝日日本歴史人物事典「五代友厚」
  3. ^ 五代友厚誕生地(Birthplace of Godai Tomoatsu)”. 鹿児島市 (2016年11月1日). 2020年7月25日閲覧。
  4. ^ a b 薩摩藩英国留学生の歴史”. 薩摩藩英国留学生記念館. 2020年5月24日閲覧。
  5. ^ 安倍首相、「長州ファイブ」記念碑を訪問 2019年2月3日閲覧。
  6. ^ 神戸新聞NEXT 2016/1/30 15:30 “五代様”政府に先立ち朝来で探鉱 史料見つかる
  7. ^ a b 大久保利謙「五代友厚の欧行と,彼の滞欧手記「廻国日記」について」『史苑』第22巻第2号、立教大学、1962年1月、81-102,図版1p、doi:10.14992/00000968ISSN 0386-9318NAID 1100093938202020年6月24日閲覧 
  8. ^ 『さつま人国誌「五代友厚、薩摩から大阪へ(3)」 | 南日本新聞 』(2015/12/07)本紙掲載
  9. ^ 『さつま人国誌「五代友厚、薩摩から大阪へ(4)」 | 南日本新聞 』(2015/12/21 )本紙掲載
  10. ^ 『薩摩藩英国留学生記念館 準備室』(2012/4/12)
  11. ^ 『日本の近代遺産50選』(第45回 小菅修船場跡 【長崎県】)
  12. ^ 後年朝廷より君に勲章を賜はるの栄ありしは、他に功少なからずと雖、多くは本件(堺事件)の功績を思召出されてならんと聞く『五代友厚伝記資料第一巻』二七頁]
  13. ^ 「巨商五代友厚没す朝野新聞1885年9月26日」『新聞集成明治編年史. 第六卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 長崎市公式観光サイト 小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)
  15. ^ 五代友厚 薩長国産貿易商社(2)
  16. ^ 小倉百人一首』に収められている「音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れこそすれ」(祐子内親王家紀伊)の本歌取りである。
  17. ^ a b c d 五代友厚『日本富豪発生学. 閥族財権争奪の巻』白柳秀湖 著 (千倉書房, 1931)
  18. ^ a b c d 五代友厚覚書『五代友厚』織田作之助著 (日進社, 1942)
  19. ^ a b 商傑五代友厚『我観郷国 : 一名・現代薩摩の人物及郷国』玉利伝十著 (択善社, 1918)
  20. ^ 『五代友厚伝』宮本又次、有斐閣、1981
  21. ^ 五代龍作君『代表的人物及事業』時事通信社, 1913
  22. ^ 『近代日本の伸銅業: 水車から生まれた金属加工』 産業新聞社、2008、p186
  23. ^ 日本地質学の軌跡3 原田豊吉:帝国大学理科大学と農商務省地質局の星 鈴木理、GSJ 地質ニュース Vol. 4 No. 2(2015 年 2 月)
  24. ^ 大坂府平民九里竜作本省御用掛被命ノ件 明治18年01月 国立公文書館
  25. ^ 五代龍作『20世紀日本人名事典』
  26. ^ 藤澤利喜太郎 生誕150年「五港育ち,『生命保険論』と『総選挙読本』 清水達雄(元清水建設研究所)、日本数学会 市民講演会、2011年5月28日
  27. ^ 竹内明太郎・白石直治系図 近現代・系図ワールド
  28. ^ 最後の山師 五代アイさん いなべ市
  29. ^ 五代アイ写真 廃村茨川研究、2012.1
  30. ^ メールマガジン『英語の文法と語法』153号あとがき
  31. ^ 土居通夫と五代友厚 市川訓敏、関西大学年史紀要, 第12号, 2000.03.31
  32. ^ 松乃華、土居芳子 [著],土居剛吉郎 編 国立国会図書館
  33. ^ 大正バブル期における起業活動とリスク管理-高倉藤平・為三経営の日本積善銀行破綻の背景 小川功、滋賀大学経済学部研究年報Vol0 2003
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  40. ^ 缺損は八幡の藪知らず(杉村正太郎長嘆一聲の事)『銀行罪悪史 : 吾輩の最新銀行論』遠藤楼外楼 著 (日本評論社出版部, 1922)
  41. ^ 華族で貴族院議員。ベルリン五輪へ代表を送り成果を挙げた、第2代JFA会長 深尾隆太郎賀川浩、月刊グラン2008年6月号 No.171
  42. ^ https://gendai.media/articles/-/48631?page=4
  43. ^ 若き薩摩の群像”. 鹿児島県観光連盟. 2014年5月14日閲覧。






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