ペリリューの戦い ペリリュー戦への評価

ペリリューの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 23:53 UTC 版)

ペリリュー戦への評価

野戦病院で治療を受けるアメリカ軍戦傷者

アメリカ海兵隊の評価は「日本軍はアメリカ軍に多大な犠牲を負わせることによって、長期に渡る遅滞・流血戦術を実行することに成功した。ペリリューで被った多大なコストは、日本に向けて太平洋を進む連合軍に大きな警鐘を鳴らした。海空で圧倒的優勢であり、莫大な量の艦砲射撃やナパーム弾を含む爆撃と4倍にもなる兵力差であったにも拘わらず、日本兵1名の戦死ごとにアメリカ兵1名の死傷と1,589発の重火器および小火器の弾薬を要した。この戦いは数か月後には硫黄島と沖縄での、日本軍の見事に指揮された防御戦術に繋がることとなった。」と中川大佐による、アメリカ軍になるべく多くの出血を強い、長い期間ペリリュー島に足止めする作戦が成功し、日本軍の頑強な抵抗が、後の硫黄島戦と沖縄戦の前哨戦となったと評価している[103]

アメリカ軍内では日本軍の頑強な抵抗への評価が高い一方で、ペリリュー島攻略のメリットがその莫大な損失に見合うものだったのか?と言う疑問が今日でも投げかけられている。

陸軍第323連隊が無血占領したウルシー環礁が天然の良港で、ペリリュー島より遥かに基地を構築するのに非常に適した島であり、アメリカ海軍はここに巨大な前線基地を構築し、その後の硫黄島戦や沖縄戦での重要な拠点となった。一方、当初の目的であったフィリピン戦への航空支援基地としての役割についても、ペリリュー島の飛行場が整備されフィリピンへの支援ができるようになったのはダグラス・マッカーサーレイテ島に上陸してから1ヶ月も経った後のことであり、その時点では大きな戦略的価値を失っていた。そのため、アメリカ国内においても、ペリリュー戦はほとんど顧みられることはなく、同時期に行われたフィリピン戦やヨーロッパ戦線のマーケット・ガーデン作戦などのニュースが新聞紙面を飾っていた。第1海兵師団戦史担当者も「激しく戦って、たくさんやられて、見返りが少ない。第一海兵師団ではいつものことだよ。」と自虐気味に振り返っている[104]

アメリカ軍高官の中でも第3艦隊ウィリアム・ハルゼー提督が「(パラオの攻略は)あまりに価値に見合わない対価を払わされたと考えている。」と当初からペリリュー島を含むパラオ攻略に反対であった自分の考えは正しかったと主張し、上陸部隊を艦砲射撃で支援したオルデンドルフ少将も「パラオ攻略作戦は疑問の余地なく実施されるべきではなかった。」と辛辣な評価をしている。また、ダグラス・マッカーサー元帥は、海兵第1師団の上陸直前に「海兵隊諸君の勝利は、フィリピン上陸作戦の成功をより確固たるものにするはずであり、私は海軍ならびに海兵隊諸君らの作戦に全幅の信頼を置くものである。」と録音にて全軍に演説した程に作戦当初は入れ込んでいたが[105]、回顧録では自らの南西太平洋部隊のモロタイ上陸とニミッツ提督の中部太平洋部隊のペリリュー上陸が1944年9月15日に同時敢行されたことに触れ「わが地上兵力の損害は44人…、この成果をわずかな損害で上げえたことをよろこぶ。<中略>。一方、中部太平洋ではそれほど運がよくなく、パラオ諸島攻略に8,000名以上の死傷者を出した。」と振り返っている[106]

一方でステールメイトII作戦の最高責任者であった太平洋方面軍司令チェスター・ニミッツ元帥は「ペリリュー島の複雑きわまる防備に打ち勝つには、アメリカの歴史におけるほかのどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約40%)を甘受しなければならなかった」と苦戦を率直に認めながらも[107]、「(ペリリュー島の利便が)2,000名の戦死者を含む10,000名のアメリカ軍死傷者に見合うものであったかどうかについては疑問の余地があるかも知れないが、一方、パラオが日本軍の手に完全に残された場合、マッカーサーのフィリピン進撃に対して真の脅威になったであろうことには疑問の余地はない。」とその意義を強調している[108]

ペリリュー戦で実際に戦った兵士の感想として、負傷したトム・ボイル二等兵は、ペリリュー戦の意義を戦後50年近く経ってから「人生締めくくりの今に振り返ってみるとそれなりに貴重な体験だった。でも惨めな体験でもあった。でも、あまり誰にでも勧められるものではないよ。なぜなら生き残ることが難しいからね」と回想している[109]

ペリリュー島に従軍した従軍画家トム・リー英語版による作品『2000ヤードの凝視

注釈

  1. ^ stalemateは「膠着」の意味。チェス用語ではステイルメイトとも表記される。
  2. ^ 「スミスVSスミス」に関しては、海兵隊を見下している陸軍から「(海兵隊指揮官は、陸軍将官のように大部隊を指揮する訓練を受けておらず、その能力もないのに、)海兵隊の中将に陸軍の少将を解任する資格があるのか」と大いに憤懣の声が上がり、ホーランド・スミス配下で戦死した海兵隊員の一部の遺族からの海兵隊司令官としての資質を問う非難に呼応して、これに同調する議員達によって議会に持ち込まれて政治問題化し戦後まで尾を引くこととなった。

出典

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