トウ龍 トウ龍の概要

トウ龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/26 07:31 UTC 版)

本来の表記は「鄧龍」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
  • 鄧龍 (後漢) - 中国後漢時代末期の武将(生没年不詳)。本記事で詳述する。
  • 鄧龍 (水滸伝) - 中国の伝奇小説『水滸伝』に登場する架空の人物。二龍山の山賊の頭領。魯智深の入山を拒否したが、楊志の策略にかかって魯智深に殺され、二龍山を奪取される。

正史の事跡

姓名 鄧龍
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
字・別号 〔不詳〕
出身地 〔不詳〕
職官 〔不詳〕
爵位・号等 -
陣営・所属等 劉表
家族・一族 〔不詳〕

劉表配下。建安11年(206年)、黄祖の命令により、鄧龍は数千人の軍を率いて孫権領の柴桑を攻撃した。しかし、孫権軍の周瑜から反撃を受けて敗れ、敗走時に追撃されて捕虜となった。捕虜にされた後は、揚州呉郡へ護送されてしまった。その後の消息は不明。

物語中の鄧龍

小説『三国志演義』にも登場するが、ここでは黄祖が最終的に滅亡した年月(史実の建安11年(206年)ではなく、2年後の建安13年(208年))に登場している。鄧龍は、同僚の陳就と共に先鋒として孫権軍を迎え撃ったが、孫権側に寝返っていた元同僚の甘寧に、乱戦の中で斬り殺されてしまう。

参考文献




「トウ龍」の続きの解説一覧

鄧龍

(トウ龍 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 17:11 UTC 版)

鄧 龍(とう りゅう[1]/とう りょう[2]、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将。黄祖に仕えた。

建安11年(206年)、数千人を率いて孫権領の柴桑へ侵攻したが、周瑜によって追討される。鄧龍は捕虜となり、呉郡へと送還された[3]

三国志演義

羅貫中の小説『三国志演義』では第38回で登場。建安13年(208年)の孫権の侵攻を、陳就と共に迎撃する。その水軍は千張以上の強弓・硬弩を擁し、一時は孫権軍を後退させた。

しかし甘寧配下の精鋭が突撃し、鄧龍・陳就軍の船を係留する綱を切断して混乱に陥れ、鄧龍は船に飛び移ってきた甘寧によって斬殺される[4]

脚注

  1. ^ ちくま文庫『三国志演義 3』133頁
  2. ^ ちくま学芸文庫正史 三国志 7』52頁
  3. ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』呉書 周瑜伝 s:zh:三國志/卷54#周瑜
  4. ^ s:zh:三國演義/第038回



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