テッド・ニュージェント 来歴

テッド・ニュージェント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/11 20:49 UTC 版)

来歴

1967年、デトロイトのサイケガレージロックバンド、アンボイ・デュークスのリード・ギタリスト(一部楽曲ではリード・ボーカルもとった)としてデビュー。1973年から1974年にかけては、2枚のアルバムをフランク・ザッパのレーベル、ディスクリートからリリース。アンボイ・デュークス解散後、1975年に初のソロ・アルバム『閃光のハード・ロック』発表。ソロ・プロジェクトでは、主にデレク・セント・ホルムズがボーカルを担当しているが、一部楽曲はテッド自身が歌っている。

セカンド・アルバム『ハード・ギター爆撃機』(1976年)にはミートローフが参加。3作目の『傷だらけの野獣』(1977年)は、アルバムが全米17位、「キャット・スクラッチ・フィーヴァー」もシングルとして初の全米トップ40入りを果たし(最高30位)[2]、同曲は後にモーターヘッドのアルバム『マーチ・オア・ダイ』(1992年)でカヴァーされた[3]。ブラック・フラッグのヘンリー・ロリンズは、セックス・ピストルズなどのパンクのアルバムが、アメリカの地方都市ではなかなか手に入らず、テッドのレコードを替わりに買ったと述懐している。また、テッドが原始人ターザンのようなキャラクターを演じるライブ・パフォーマンスも話題となり[4]、初のライブ・アルバム『絶叫のライヴ・ゴンゾー』(1978年)は全米13位に達した。

アルバム『刺青の侵入者』(1984年)では、デレク・セント・ホルムズに代わり、後にバッド・カンパニーに加入するブライアン・ハウがボーカルを担当。1988年のアルバム『青コーナーの誘惑』には、ジョン・ボン・ジョヴィリッチー・サンボラと共作した楽曲「That's the Story of Love」を収録しているが、セールス的には成功しなかった。

1989年ジャック・ブレイズ(元ナイト・レンジャー)、トミー・ショウ(元スティクス)、マイケル・カーテロンと共にダム・ヤンキースを結成。同バンドのメンバーとして2枚のアルバムを発表した後、ソロ活動に戻る。

2006年VH1のリアリティ・ショウ『SUPERGROUP』で、セバスチャン・バック、スコット・イアン(アンスラックス)、エヴァン・セインフェルド(バイオハザード)、ジェイソン・ボーナムとバンドを組んで出演[5]








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