チェスター・B・ボウルス
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スヴェトラーナ・アリルーイェヴァの政治亡命
1967年3月9日、ソ連の政治家、ヨシフ・スターリン(Иосиф Сталин)の娘、スヴェトラーナ・アリルーイェヴァ(Светлана Аллилуева)がニューデリーにあるアメリカ大使館を訪問し、亡命したい趣旨を書類に記述した。この時の詳細について、当時、アメリカ大使を務めていたボウルスは以下のように語っている。
インド時間の午後9時、ワシントンでは午前11時。私はこう言いました。「ここに、スターリンの娘を名乗る人物がおります。我々は、間違いなく彼女はスターリンの娘本人である、と確信しております。そちらが反対の指令を出さない限り、私は彼女を午前一時のローマ行きの航空便に乗せることに致します。私は彼女の合衆国への入国を保証しているわけではありません。私にできるのは、彼女がインドを離れ、アメリカか、世界のどこか、安心して暮らせる場所へ向かうのを見届けることだけでございます。もしもこれを許可できないのなら、深夜までに伝令をお願い致します」…ワシントンからの指令は来なかった。大使だけが持つ特権の一つで、誰にも反対されることなく、異例のことができるのです。私は、アメリカ国務省外交局の職員ならば、まずしないであろうことをやってみました。私は、彼女にこう尋ねたのです。「第一に、本当に祖国を離れたいのですか?あなたは祖国に子供を残しているし、重大な影響を及ぼす一歩となるでしょう。熟慮を重ねたうえでの行動なのでしょうか?やろうと思えば、あなたは今すぐにソ連大使館に戻り(彼女はソ連大使館内にある寝室にいた)、早く寝て、このことを忘れて、翌朝に目覚めたら、予定通りモスクワに帰れるのですよ?」…すると、彼女はすばやく反応し、以下のように述べました。「それがあなたの決定であるなら、私は今夜中にここで記者会見を開き、こう発表します。『民主主義国家であるインドは、私を受け入れようとしない(門前払いされた)』『民主主義国家であるアメリカが、私を受け入れようとしない』…まぁ、彼女にはそのようなことをする必要は無かったのですがね。私としてはただ、彼女のこの行動が、熟慮したうえでのものなのかどうか、確認したかっただけなのです。とにかく、この件に関しては、彼女はとても迅速でした」[16]
ボウルスの補佐官が「午前一時にカンタス航空の航空機が出発する」趣旨を述べると、ボウルスはその航空機にスヴェトラーナを搭乗させるよう手配した。ロシア語が解る若い将校を割り当てようとしたが、スヴェトラーナは英語に堪能であり、通訳は必要無かった[16]。その後、ボウルスは、国務省とアメリカ合衆国大統領官邸に電報を打った。国務長官のディーン・ラスク(Dean Rusk)に向けて、「Eyes Only」との電報を打ち、状況を説明し、指示を仰いだ。その電報の最後には、次の言葉を添えた。「もし、インド時間の午前0時までに国務省から連絡が無い場合、私の責任において、彼女に許可証を与えることになります」[17]
CIAの職員は、スヴェトラーナをローマ行きの航空機に乗せた。この航空機はスイスへと向かった[18]。合衆国政府はCIAの職員を派遣し、スヴェトラーナがイタリアを経由してスイスへ向かうのを手伝わせたが、スヴェトラーナをアメリカに入国させた場合、ソ連との関係が悪化するのではないか、と懸念していたという[19]。
スヴェトラーナがスイスに到着すると、スイス政府は、スヴェトラーナのための入国許可証を手配した[20]。子供たちをソ連に残した状態で、スヴェトラーナはアメリカ合衆国に向かい、1967年4月にニューヨークに到着した[19]。
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- 2 チェスター・B・ボウルスの概要
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