ズマナ・カマラ ズマナ・カマラの概要

ズマナ・カマラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 03:24 UTC 版)

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ズマナ・カマラ
名前
愛称 Papus[1]
ラテン文字 Zoumana Camara
基本情報
国籍 フランス
マリ
生年月日 (1979-04-03) 1979年4月3日(42歳)
出身地 コロンブ
身長 182cm
体重 76kg
選手情報
在籍チーム 引退
ポジション CB
利き足 右足
ユース
ラシン・クラブ・ド・フランス
-1996 サンテティエンヌ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1998 サンテティエンヌ 32 (1)
1998-2000 インテルナツィオナーレ・ミラノ 0 (0)
1999 エンポリ (loan) 12 (0)
1999-2000 バスティア (loan) 27 (1)
2000-2002 オリンピック・マルセイユ 42 (1)
2002-2004 ランス 14 (0)
2003-2004 リーズ・ユナイテッド (loan) 13 (1)
2004-2007 サンテティエンヌ 108 (0)
2007-2015 パリ・サンジェルマン 153 (4)
代表歴
2001 フランス 1 (0)
2007 フランス B 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年9月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

クラブ

マリ出身の両親の下[2]オー=ド=セーヌ県コロンブに生まれると、17歳の時に2部ASサンテティエンヌからプロキャリアを開始し、1997-98シーズンに2部ながらもレギュラーとして26試合に出場した。1998年6月にイタリア1部インテルナツィオナーレ・ミラノとオプション付きで2003年までの契約を締結した[3]カマラは、大きな期待を寄せられ、年代別代表で一緒だった同胞のウスマーヌ・ダボミカエル・シルヴェストルとプレーすることになったが、リーグ戦の出番は訪れず、コッパ・イタリアに2試合出場した[4]後、1998-99シーズン残りを同国1部のエンポリFC1999-2000シーズン英語版フランス1部SCバスティアに期限付き移籍で滞在した。

2000年6月1日にフランス1部のオリンピック・マルセイユと契約し[5]加入1季目英語版こそレギュラーだったものの、翌2001-02シーズンは控えにまわり、シーズン途中の2002年1月にラミーヌ・サコーとの交換移籍でRCランスと契約をした[6]。しかし、ランスでは定期的な脚の付け根の負傷から、同2001-02シーズン残りの試合に出場が出来ない状態にあり、翌2002-03シーズン開幕後も暫く出場出来ず[7]、復帰してからはジョエル・ミュレ(en)監督によって不慣れな右サイドバックに起用されて不本意な形に終わった[8]

2003年7月22日にイングランド1部リーズ・ユナイテッドAFCへ期限付き移籍で契約する[9]マイケル・デュベリールーカス・ラデベが開幕前に負傷していた影響もあり、序盤戦はレギュラーとして本来左サイドバックのドミニク・マッテオ(en)や中途加入のロッキ・ジュニオールとコンビを組み[10][11]、8月30日のミドルズブラFC戦(3-2)で初得点を挙げた[12]が、ピーター・リード監督からエディ・グレイ(en)監督に交代後は出番に恵まれず[13]、また、シーズン終了時に2部への降格を経験した。なお、シーズン終盤の3月にクラブの逼迫している財務状況を知り得ていたら、そもそも参加することはなかったと非難している[14]が、その一方で財政難を緩和するためにクラブから1月に契約解除の申し入れを拒否していた[15]

2004-05シーズンから復帰した古巣のサンテティエンヌでは、ヴァンサン・オニョン(en)とコンビを組み、在籍3季でのリーグ戦欠場が僅か6試合のみと不可欠な存在として活躍した。2007年7月24日にパリ・サンジェルマンFCと4年契約を結び、アラン・カイザック会長からフランスで最高のセンターバックと評された[16]カマラは、ポール・ル・グエン監督の下でマリオ・ジェペスとコンビを組んで加入1季目ながらもリーグ戦全38試合に出場し、クープ・ドゥ・ラ・リーグでは優勝を果たす。以後のアントワーヌ・コンブアレ監督の下でもセンターバックの1番手として[17]ママドゥ・サコーサミー・トラオレシルヴァン・アルマンとコンビを組んでいたが、クラブの筆頭株主がカタールの政府系ファンドになってからは補強の煽りを受けて序列が下がっており、一時は退団を決心するもスポーツディレクターのレオナルドの説得によって契約を2013年夏までに延長した[18]。その後、状況はより顕著になったものの、2013年6月[19]と2014年5月にそれぞれ契約を1年延長することに成功している[20]

2014-15シーズンをもって現役を引退。

代表

フランス代表としての出場機会はなかったが、ロジェ・ルメール監督の下でFIFAコンフェデレーションズカップ2001のメンバー入りを果たし[21]、 2001年6月1日のオーストラリアとのグループリーグ第2戦(0-1)で初出場を飾る[22]。以後の出場はなく、2005年にサンテティエンヌでの活躍から、レイモン・ドメネク監督によって負傷したリリアン・テュラムの代役として2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選スイス戦とキプロス戦へ向けて招集されている[23]が、出番は訪れなかった。

タイトル

クラブ

パリ・サンジェルマンFC

代表

フランス代表 U-19
フランス代表



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