ジョージ・ロムニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 14:35 UTC 版)
ミシガン州知事
ビジネス界で成功を収めたロムニーは、1962年にミシガン州知事選挙に立候補し、政界への進出を図った。この選挙で彼は現職のジョン・スウェインソンを破り、当選を果たした。知事に就任すると、公民権問題に取り組み、州憲法を改正した上で公民権の保証を確実にし、この問題の改善を成し遂げた。また税制改革に取り組んだ。さらにその知事としての任期中、ミシガン州の経済を回復させた。ロムニーは木曜日の午前中に知事の事務室を開放し、州民が直接知事を訪れることができるようにするなど、開かれた州政府を目指した。
1968年アメリカ合衆国大統領予備選挙
1968年には共和党の大統領予備選挙に意欲を示し、キャンペーンを行った。一時は世論調査等でトップに立って最有力候補と看做された。しかし、ニューハンプシャー州予備選挙の2週間前に出馬を取りやめざるを得なかった。彼は元来ベトナム戦争を支持していたが、この支持は、東南アジアを歴訪した際に軍人に「洗脳」された結果だとテレビで発言し、さらにヴェトナム戦争は「史上最大の洗脳」の結果だと発言するようになった。この発言が多くの人々に問題視され、ロムニーは支持を失った。これが立候補取り消しの原因となった。
住宅都市開発長官
1969年にニクソン政権が発足すると、ロムニーは住宅都市開発長官に任命された。しかし、都市開発のプログラムを巡って、これに熱心なロムニーは他の閣僚たちと対立するようになり、1973年に政権の都市開発プログラムへの支持は自分が期待したほどでは無いとして辞任した。
ボランティア活動
住宅都市開発長官を辞任した後、ロムニーは政界を引退し、プライベートな生活に戻った。その傍ら、1974年にナショナル・ボランティア・センターを設立し、その所長に就任した。これはボランティア活動を促進する団体であり、1991年にポインツ・オブ・ライト基金を創設してこのプランはブッシュ大統領の支持を得た。1995年に心筋梗塞によって88歳で死去した。
- ^ Mahoney, The Story of George Romney, pp. 52, 70.
- ^ Roberts, Gary Boyd (1998). Notable Kin: An Anthology of Columns First Published in the NEHGS NEXUS 1986–1995, Volume 2. Boston: Carl Boyer, 3rd. p. 212. ISBN 978-0-936124-20-9
- ^ Potter, Mitch (2012年1月23日). “Mitt Romney has Canadian roots”. Toronto Star
固有名詞の分類
- ジョージ・ロムニーのページへのリンク