ジョゼフ・ジョン・トムソン 陰極線の実験

ジョゼフ・ジョン・トムソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 03:16 UTC 版)

陰極線の実験

かつて、陰極線は光のような非物質的なものか(エーテルを媒質とする波動説)、それとも質量のある粒子で構成されているのかという議論があった。トムソンは、一連の実験によってそれが粒子線であると論じた。

第一の実験

トムソンの製作した陰極線管

エーテル説の信奉者は、クルックス管で負の電荷を帯びた粒子が発生する可能性は認めていたが、それは副産物であり、陰極線そのものは非物質的なものだと信じていた。そこでトムソンは電荷と陰極線を実際に分離できるかを調べた。

トムソンは陰極線が真っ直ぐ進んだ場合の経路から外れた位置に電位計を設置したクルックス管を組み立てた。陰極線がガラスに当たると光るように燐光物質が塗ってある。磁場によって電荷を帯びた粒子が電位計に向かうようにすると、陰極線も同じように曲がることがわかり、負の電荷と陰極線は同一のものだと結論付けた。

第二の実験

電場によって陰極線が曲がることを確認したときのクルックス管の(トムソンが描いた)図。陰極線はカソード C から発せられ、アノード A と B を(接地されている)通過し、電場を印加した D と E のプレートの間を抜け、もう一方の端にぶつかる。
T陰極線(青い線)は電場(黄色)によって曲がる。

次にトムソンは陰極線が電場によって曲がるかどうかを確かめる実験を行った。以前の実験では失敗していたが、トムソンはガラス管内部の気体が多すぎたためだと考えていた。

トムソンはほぼ完全な真空のクルックス管を作った。一方の端には陰極線を発するカソードがある。陰極線を2つの金属スリットを通過させて細くする。1つ目のスリットはアノードであり、2つ目は接地している。陰極線は次に2枚のアルミニウム製のプレートの間を通過するが、そこに電池を接続すると電場が生じるようになっている。管のもう一方の端は大きな球状になっていて、陰極線が当たった場所が光るようになっている。曲がり方を測定するため、トムソンはその表面に目盛りを貼り付けた。

上のプレートを電池の負極、下のプレートを正極に接続すると、陰極線の当たる箇所が球の下の方に移り、極性を逆転させると上の方に移ることがわかった。

第三の実験

第三の実験の装置

第三の実験では、陰極線の質量電荷比を測定するため、磁場によって曲がる距離とそのエネルギーを測定した。トムソンは、その質量電荷比が水素イオン (H+) の数千分の1であることを発見し、その粒子が極めて軽いかあるいは極めて電荷量が大きいかのどちらかだとわかった。

結論

静電力によって負に帯電しているかのように曲がり、磁場においても負に帯電した物体と同様の力を受けることから、陰極線が負の電荷を帯びた質量のある粒子であるという結論に議論の余地はないと思われる。
J. J. Thomson[9]

それら粒子の発生源について、トムソンはカソード近傍の気体分子から飛び出したと信じていた。

カソード近傍の強烈な電場によって気体分子が原子ではなくもっと小さい単位に分裂したとすれば(これを corpuscles と呼ぶことにする)、そして corpuscles が帯電していてカソードの電場に沿って移動するとするならば、まさに陰極線のような挙動を示すだろう。
J. J. Thomson[9]

トムソンは原子が正の電荷を帯びた海の中を corpuscles が漂っているものと想定した。いわゆる「ブドウパンモデル」である。後にアーネスト・ラザフォードが正の電荷が原子の核に集中していることを証明し、トムソンの原子模型が間違っていたことを示した。


  1. ^ 例えば、アーサー・シュスターピーター・ゼーマンエミール・ヴィーヘルトはトムソン以前に電子の比電荷を測定し、ゼーマンとヴィーヘルトはそれが非常に軽い(または小さい)荷電粒子だと結論している。また電場によって陰極線を偏向させる実験結果は、1896年にグスタフ・ヤウマンによって発表されている。(マルチネス「科学神話の虚実」、カーオ「20世紀物理学史 上」)
  2. ^ 20世紀初頭には実際にそのような評価がされていた。トムソンを「電子の発見者」とする狭くて単純化された見方を広めたのはトムソンの弟子たちだったと、イソベル・ファルコナーやE・A・デーヴィスのような物理学史家は指摘している。(マルチネス「科学神話の虚実」)
  1. ^ 偉人たちの夢 (65)J.J.トムソン”. サイエンスチャンネル. 2019年12月9日閲覧。
  2. ^ “偉人たちの夢 (65)J.J.トムソン”. サイエンス チャンネル. https://sciencechannel.jst.go.jp/C990501/detail/C020501065.html 2020年2月28日閲覧。 
  3. ^ a b Davis, J.J. Thomson and the Discovery of the Electron
  4. ^ "Thomson, Joseph John (THN876JJ)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  5. ^ "Thomson; Sir; Joseph John (1856 - 1940); Knight". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧
  6. ^ Thomson, J. J. (1905). “On the emission of negative corpuscles by the alkali metals”. Philosophical Magazine, Ser. 6 10: 584–590. doi:10.1080/14786440509463405. 
  7. ^ Hellemans, Alexander; Bryan Bunch (1988). The Timetables of Science. New York, New York: Simon and Schuster. pp. 411. ISBN 0671621300.
  8. ^ Thomson, J. J. (June 1906). “On the Number of Corpuscles in an Atom”. Philosophical Magazine 11: 769–781. http://www.chemteam.info/Chem-History/Thomson-1906/Thomson-1906.html 2008年10月4日閲覧。. 
  9. ^ a b Cathode rays Philosophical Magazine, 44, 293 (1897)
  10. ^ a b 青柳恵介『風の男 白洲次郎』(新潮社(新潮文庫)、2000年)pp. 51
  11. ^ 池田潔『自由と規律』(岩波書店(岩波新書)、1949年)pp. 63-64






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