カンザス州の歴史
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州昇格
1861年1月29日にカンザスはアメリカ合衆国34番目の州に昇格した。その3ヶ月後、南北戦争が正式に始まったが、カンザス準州では南北の戦いが数年前に始まっていた。
1860年代にはカンザス州の歴史で幾つかの重要な展開があった。南北戦争に参加したこと、牛追いが始まったこと、カンザスでの禁酒法の始まり(実際は1880年代)、および西部平原でのインディアン戦争の開始だった。ジェイムズ・レインが1861年にカンザスから合衆国上院議員に選ばれ、1865年にも再選された。レインはアメリカ連合国全体から嫌悪されていた。
カンザス州の州章とモットー
カンザス州の州章は1861年5月25日にカンザス州議会に採択された合同決議案で制定された。州章のデザインはアッチンソン出身の州上院議員ジョン・ジェイムズ・インゴールズが提案した。インゴールズは州のモットー「Ad astra per aspera」も提案した。これは困難さの向こうにある星を意味する。
南北戦争
南北戦争が始まったときに、カンザス州政府はよく組織された民兵隊を持たず、武器もなく、装具も物資もなく、何一つ需要に見合うものはなかったが、あるのは統一された官民の意志だけだった。1859年から1960年にかけて、軍事組織は使われなくなるかあるいは完全に解体していた。最初のカンザス連隊は1861年6月3日に結成され、南北戦争中に最後に立ち上げられた第17連隊は1864年7月28日の成立だった。カンザス州に割り当てられた全量は16,654名であり、実際に立ち上げられた数は20,097名となり、その差3,443名はカンザスの功績だった。統計に拠れば、カンザス連隊で戦死および全病死した者の千人当たりの数値は他のどの州よりも高かった。
バクスタースプリング
バクスタースプリングの戦いは、あるいはバクスタースプリングの虐殺とも呼ばれ、1863年10月6日に現在のバクスタースプリング近くで戦われた小さな戦闘だった。マインクリークの戦いは、オーセージの戦いとも呼ばれ、カンザス州内で起こった騎兵戦だった。
メルダジーン
1864年10月25日、メルダジーンの戦いがリン郡で起こった。このトレーディングポストでの戦闘はミズーリの遠征隊を率いたスターリング・プライス少将とアルフレッド・プレソントン少将率いる北軍とのものだった。プライス軍はカンザスシティから南に下った後で、メルダジーン川でプレソントン軍と遭遇した。南軍は北軍に攻撃された後に撤退を強いられた。
ローレンス虐殺
北軍トマス・ユーイング・ジュニア准将が南軍ゲリラを援助した女性達の収監を命令し、刑務所にしていた建物が崩壊して4人が死んだ。この事件がミズーリ州内のゲリラを怒らせた。1863年8月21日、ウィリアム・クァントリルがローレンスを襲撃し、市の大半を燃やし、150人以上の男性と少年を殺した。クァントリルは、この奴隷制廃止論の強固な地盤都市に対する攻撃について、刑務所の崩壊に加えて、南部人がカンザスの北部ゲリラの手で味わった事実にしろ想像にしろ悪いことに対する報復だと合理化した。
カンザス州におけるインディアン戦争
ラーニド砦(カンザス州中央部)は中央平原の敵対的インディアンに対する軍事行動の基地として1859年に設立され、サンタフェ・トレイルの交通を守り、1861年以降は1861年のワイズ砦条約の条件に従い、インディアン問題担当局による中央平原インディアンの管理を行う代理機関となった。
コロラドの山脈で貴金属が発見されたとき、およびそれに続くシャイアン族とアラパホ族のレパブリカン渓谷とスモーキーヒル渓谷への集中で、先住民族と鉱山師およびコロラドの軍隊との間の攻撃と反撃の連続が始まったと考えられる。これは1864年4月には、インディアンによるカンザスやネブラスカの辺境開拓者、旅人、牧場の者や列車の者への何ヶ月にもおよぶ戦争となり、同じ年の11月にインディアン1隊の大量殺戮で頂点に達した。殺戮されたインディアンは大半は友好的な者達であり[16]、その居留地内の安全な場所とされていたコロラドのライアン砦近くサンドクリークで宿営していた。この出来事はサンドクリークの虐殺と呼ばれている。
平和の時代
南北戦争と呼ばれる反乱者の戦争が終わったときに、カンザス州はそれが存在し始めてから初めて平和の時代が訪れた。12年間の騒擾と流血を伴う不和、危険がつきものの絶え間ない努力の12年間は、住民を鍛えて、いまや動きの中に休息があり、絶え間ない警戒の中には安全がないことを知った。このような訓練で、全住民の性格はその通ってきた経験のように特異なものになった。この時期にカンザスシティが造られ(1868年)、市政が布かれた(1872年10月)。
休みを知らぬ活力がこの時期の支配的な特徴となり、寛ぐことは望ましいものであることを止めることだった。打ち勝つべき対象は望ましい対象であり、それに打ち勝つことが典型的カンザス人の大きな目的だった。戦争が終わると、彼らは最も活発に平和的なことを追求するようになった。その踏みしめる自由の大地に対する権利を得た。ここから彼らの活力は、工夫が活かされ、忍耐が要求されあるいは活力が使われるあらゆる手段を通じて高い可能性を開いていくことに注がれた。
カンザス太平洋鉄道
年 | 主要結節点 |
---|---|
1863 | カンザスシティ |
1864 | ローレンス |
1866 | ジャンクションシティ |
1867 | サリーナ |
1870 | デンバー |
1863年、ユニオンパシフィック東部(1869年に改名してカンザス・パシフィック)が、ユニオンパシフィックに沿った大陸横断鉄道の南支線を作るための合衆国議会の太平洋鉄道法によって承認された。太平洋鉄道法は幹線に沿った大規模公有地の供与も承認した。この会社は1863年9月にカンザスシティから西に幹線の建設を始めた。
- ^ Kansa treaty http://digital.library.okstate.edu/Kappler/Vol2/treaties/kan0222.htm
- ^ Osage treaty http://digital.library.okstate.edu/kappler/vol2/treaties/osa0217.htm
- ^ Shawanoe treaty http://digital.library.okstate.edu/Kappler/Vol2/treaties/sha0262.htm
- ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
- ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
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- ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
- ^ The Treaty with the Oto and Missouri Tribes of 1833
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- ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
- ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
- ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
- ^ Indian Affairs: Laws and Treaties, Vol. II, Treaties. Compiled and edited by Charles J. Kappler. Washington : Government Printing Office, 1904. (cf. [The treaty with the ...] チェロキー族インディアン、およびアーカンソー準州領域内に現在住む者、ミシシッピ川より東の州にその友人や兄弟が住む者、さらに西部の兄弟と一緒になりたいと願う者に、恒久的な家を与える。これは合衆国の最も厳粛な保障のもとにあり、「永久に彼等の」ものであり、有り続ける。この家は将来の如何なる時にも、その周りに境界を延ばして邪魔をしたり、準州または州の司法権を及ぼしたり、あるいは現存する準州または州の境界を如何なる方法でも拡張して圧迫されることは決してない。)
- ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
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- ^ William G. Cutler's History of the State of Kansas. State History Part 21, Indian Troubles in Kansas (1864 - 1870).
- ^ Charles William Sloan, Jr., ""Kansas Battles the Invisible Empire: The Legal Ouster of the KKK From Kansas, 1922-1927," Kansas Historical Quarterly Fall, 1974 (Vol. 40, No. 3), pp 393-409] (ed. explains in detail how the KKK worked in Kansas.)
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