たいこう‐ぼう〔‐バウ〕【太公望】
太公望
太公望
太公望
呂尚
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呂 尚(りょ しょう、Lü Shang)は、紀元前11世紀ごろの古代中国・周の軍師。丁公と邑姜の父、後に斉の始祖。
注釈
出典
- ^ 『新唐書』禮樂五
- ^ a b c d 劉, 尹『文明の原点』、148頁
- ^ a b c d 叢『中国五千年の物語』1巻、156-159頁
- ^ a b c d e f g h i 貝塚「呂尚」『アジア歴史事典』9巻、313頁
- ^ 司馬遷著、小竹文夫・小竹武夫訳「斉太公世家第二」『史記〈3〉世家上』ちくま学芸文庫.1995.
- ^ 中國哲学書電子化計劃「呂望」
- ^ 平勢隆郎「春秋」『中国史 1』収録(世界歴史大系, 山川出版社, 2003年8月)、230頁
- ^ 落合『古代中国の虚像と実像』、44-45頁
- ^ a b c 『史記』巻32、斉太公世家
- ^ 平勢『都市国家から中華へ 殷周春秋戦国』、66頁
- ^ 叢『中国五千年の物語』1巻、154頁
- ^ a b 『史記』上(中国古典文学大系, 平凡社, 1968年)、344-345頁
- ^ 平勢『都市国家から中華へ 殷周春秋戦国』、378-380頁
- ^ 竹内康浩「西周」『中国史 1』収録(世界歴史大系, 山川出版社, 2003年8月)、170頁
- ^ 落合『古代中国の虚像と実像』、44頁
- ^ a b c 窪徳忠『道教の神々』(講談社学術文庫, 講談社, 1996年7月)、190頁
- ^ 平勢『都市国家から中華へ 殷周春秋戦国』、378-379頁
- ^ 平勢『都市国家から中華へ 殷周春秋戦国』、377頁
- ^ 落合『古代中国の虚像と実像』、101,103頁
- ^ 飯塚朗『故事遍歴 中国成語集』(時事通信社, 1982年11月)、9-10頁
- ^ 「太公釣魚願者上鉤」大紀元
- ^ 窪徳忠『道教の神々』(講談社学術文庫, 講談社, 1996年7月)、60-61頁
- ^ 尾形光琳筆「太公望図」京都国立博物館所蔵
- ^ a b 平福百穂筆「太公望」三重県立美術館
- ^ 「南画へのいざない」頼山陽史跡資料館-谷文晁筆『石番蹊跪餌図』広島県立歴史博物館蔵
- ^ リライト小説であるにもかかわらず、「訳」と明確に印字されているが、事情理由は不明。
- ^ “【期間限定】「ツングースカ・サンクチュアリピックアップ召喚」!”. Fate/Grand Order 公式サイト. 2021年1月11日閲覧。
太公望
出典:『Wiktionary』 (2018/04/06 03:13 UTC 版)
固有名詞
由来
【白文】
- 呂尚蓋嘗窮困、年老矣、以漁釣奸周西伯。西伯將出獵、卜之、曰「所獲非龍非彨非虎非羆、所獲霸王之輔。」於是周西伯獵、果遇太公於渭之陽、與語大說、曰「自吾先君太公曰『當有聖人適周、周以興。』子真是邪?吾太公望子久矣。」故號之曰「太公望」載與俱歸、立為師。
【和訳】
- 呂尚は、貧しいまま年老いていったが、釣をしながら周の西伯(後の文王)に近づく機会をうかがっていた。(ある日)西伯が狩に出ようと占うと「今日の獲物は、龍でも、彨(みずち)でも、虎でも、羆(ひぐま)でもなく、王の覇業の輔弼であろう」とでた。西伯が猟をしていると、渭河の北岸で呂尚に出会い大いに語った。「祖父である先代の太公が『聖人が周に仕え、周に興隆をもたらす』といっていたが、あなたでしたか?私は、太公が望んだ方を長い間待っていたのです」といい、それ故「太公望」と号させた。ともに戻って、軍師とした。
関連語
名詞
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