パブリカ
public(英語で大衆)とcarを結び付けた車名。国民から愛されるクルマという意味をもつ。この車名は一般公募を行い、108万通の応募作品のなかから選考した。
1961年6月14日、東京店頭渡し価格38万9000円で発表、6月30日から発売。エンジンは空冷水平対向2気筒・697ccで後輪駆動、ミッションは4速MTだった。ボディは2ドアセダン・1タイプ。62年11月にはトヨグライド車を設定。63年7月にデラックス車、10月にコンバーチブルモデル、66年4月のマイナーチェンジではエンジンが790ccにアップ、12月にはディタッチャブルトップ車を追加した。
初代が誕生する要因としては、55年5月に通産省(現・経済産業省)が発表した国民車育成構想があった。エンジンを350~500ccとするなど概要が示されたが、これに対応したトヨタの作品が初代パプリカだった。
2代目は69年4月に出た。エンジンは1Lと1.1Lの水冷となり、依然後2輪駆動だった。型式名はKP30。同じボディに旧型から継承した空冷水平対向790ccエンジン搭載車もあった。9月には、1.1Lエンジンが1.2L直4エンジンに変わった。1L車にATを設定。
2世代目が世に出た同じ時期、ダイハツが双生児車コンソルテを発表した。トヨタとダイハツの業務提携が67年11月に成立していたことによる。このあと、70年4月に1200SLをマイナーチェンジ、9月にハイバックシートの1200ハイデラックスを追加、71年3月には1200SRというモデルを設定した。
72年1月、全長を50mm延長し、ファミリーユースモデルとスポーティモデルの2系統に色分けした。衝撃吸収ステアリング、ステアリングロック装置を採用。その後、73年10月、76年2月、77年1月とマイナーチェンジを行ったあと、78年1月をもって生産を終えた。
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