TDK創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 07:23 UTC 版)
東京アンゴラ兎毛退社直後、斎藤はアンゴラ兎毛繊維の脱毛防止に関する技術指導として東京工業大学電気化学研究室の小泉勝永を紹介された。既にアンゴラ兎とは縁が切れていた斎藤であったが、将来の事業のヒントを求め1935年7月9日、東工大に小泉を訪ねた。話し合ううちに斎藤と小泉は意気投合し、斎藤が小泉に津田信吾を、小泉が齋藤に電気化学研究室教授の加藤与五郎を紹介することを約束する。(後に津田に面会した小泉は鐘紡理化学研究所の所長に抜擢された) 加藤に面会した齋藤は、「これからの日本は軽工業と重工業のどちらに重点を置くべきか」と質問した。それに対する加藤の答えは「今の日本に工業など存在しない。西洋の模倣ではなく日本人の発明を事業化しなければ真の日本の工業とはいえない」というものであった。この言葉に衝撃を受けた齋藤は、加藤の発明であるフェライトの工業化を目指す決意をする。齋藤の申し出に対し加藤は、まだフェライトに市場価値が無いので特許は無償で譲渡する、ただし事業資金として10万円を用意することという条件を出した。齋藤は津田信吾から10万円の資金援助を受け昭和10年(1935年)12月7日、東京電気化学工業株式会社(現TDK株式会社)を設立する。
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