PZLとは? わかりやすく解説

PZL(1928年-1939年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 17:58 UTC 版)

PZL (航空機メーカー)」の記事における「PZL(1928年-1939年)」の解説

PZL(Państwowe Zakłady Lotnicze)は、それ以前にあったCWL(Centralne Warsztaty Lotnicze:中央航空機研究所)を基に、1928年国営企業としてワルシャワ設立された。 当初同社ではフランス戦闘機、ウィボー70en:Wibault 7)のライセンス生産が行われたが、その後自社設計機体専門生産した1930年代に入ると、ズィグムント・プワフスキ設計による、高翼・全金属製近代的な一連の戦闘機シリーズ生み出された。PZL P.1、P.6、P.7、P.11である。特に最後の2機種は、1933年以降ポーランド空軍主力戦闘機として使用された。 シリーズ最後機体であるPZL P.24はプワフスキの航空機事故による死去の後に開発されたもので、4カ国に輸出された。 また、PZLは軽爆撃機PZL.23カラシュKaraś)、近代的な中型爆撃機PZL.37ウォシュ(Łoś)の量産おこなったほか、いくつかのスポーツ機(PZL.5、PZL.19、PZL.26)、連絡機(PZL Ł.2)なども若干生産旅客機開発・試作行った1930年代後半、PZLは、戦闘機PZL.50ヤスチョンプ(Jastrząb)、軽爆撃機PZL.46スムSum)、旅客機PZL.44ヴィヘル(Wicher)など、それまでよりもさらに近代的な戦闘機爆撃機旅客機開発・試作行った。しかし第二次世界大戦勃発により、これらの機体生産されることなく終わった。 PZLは、戦前ポーランドにおいて、最大航空機メーカーだった。1934年時点で、主工場ワルシャワのオケンチェ地区にあるPZL WP-1(Wytwórnia Płatowców 1:第一機体工場)だった。さらにPZL WP-2(機体第二工場)が1938年から1939年にかけ、ポーランド南東部のミェレッツに建設されたが、第二次世界大戦始まった時、この工場では生産始められたばかりという状態だった。 エンジン生産部門は、PZL WS-1(Wytwórnia Silników 1:第一エンジン工場)がやはりワルシャワのオケンチェ地区にあり、主にイギリスからのライセンス品であるブリストル社製エンジンブリストル ペガサスブリストル マーキュリーなどを生産した。この第一エンジン工場は、旧称を「ポーランド・スコダ製作所(Polskie Zakłady Skody)」といい、チェコシュコダ社の現地法人だったが、1936年国営化され改称されたものだった1937年から1939年、PZL WS-2エンジン第二工場)がジェシュフ建設された。

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