JAL、ANA、TDA歴任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 06:43 UTC 版)
「松尾静磨」の記事における「JAL、ANA、TDA歴任」の解説
その後初代の運輸省航空庁長官を経て、退官後、1951年(昭和26年)に政府の特殊会社だった日本航空に天下り、専務。1957年副社長を経て、1961年二代目社長に就任。ジェット機、さらにはジャンボ機の導入、国内路線・国際路線を開設、日の丸の翼を世界の空へと拡張、併せて安全性を最優先し、「臆病者と呼ばれる勇気を持て」と言う有名な言葉も残した。 また、1961年航空審議会委員、1962年には全日本空輸取締役、1963年全日本航空事業連合会会長、1963年日本経営者団体連盟常任理事、1966年日本国内航空会長、1971年松尾建設会長など多数の公職を歴任。1971年5月には東亜国内航空取締役相談役に就任するとともに、日本航空では取締役会長に就任。 1971年、昭和天皇・香淳皇后の欧州七か国歴訪に際しては、日本航空会長の松尾は案内役として同行した。1963年藍綬褒章受章。1972年に死去した。1973年勲一等瑞宝章受章。
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