DX - 1度目の引退
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「ショーン・マイケルズ」の記事における「DX - 1度目の引退」の解説
1997年秋、再度ヒールターンしてハンター・ハースト・ヘルムスリー、チャイナらとD-ジェネレーションX(略称DX)を結成。ブレット・ハートをリーダーとしたハート・ファウンデーションと抗争を繰り広げた。同年11月、モントリオールで開催されたサバイバー・シリーズにおいて、すでにライバル団体WCWへの移籍が決定していたブレットのWWF世界ヘビー級王座に挑戦。しかし、ショーンがブレットの必殺技のシャープ・シューターを繰り出した瞬間、突如としてショーンの勝ちが宣告される不可解な事件が起こる(モントリオール事件を参照)。結果的にショーンは王者に返り咲き、最大のライバルであったブレットはWWFを去ることになったが、DXは相変わらずの下品で下劣な行為に走っていた。この時期、WWFはライバル団体WCWとの視聴率戦争で苦戦を強いられており、それまでのニュー・ジェネレーション路線から、より過激なアティテュード路線への方針転換の過渡期を迎えていた。DXは、その始まりの象徴的な存在でもあった。 この頃から長年に渡るハードな受身が災いし、持病の椎間板ヘルニアが悪化。そうした中、ロイヤルランブルでジ・アンダーテイカーを相手に棺桶戦を行い、王座防衛こそしたがケガはよくならず、様々な治療やリハビリを試みたがこの時点では回復は困難と見られ、1998年3月29日、レッスルマニアXIVでのWWF世界ヘビー級王座を賭けたストーン・コールド・スティーブ・オースチン戦を最後に一度は引退した。なおストーリー上では、DXに加入して試合の特別立会人を務めたマイク・タイソンが、試合中にショーンを裏切りオースチンの勝利をアシスト、試合後にショーンがタイソンを問い詰めて張り手を放つも、タイソンから反撃のフックを浴びてKOされ、そのダメージが原因で離脱という形になった。
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