4ドア電車の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:21 UTC 版)
「通勤形車両 (鉄道)」の記事における「4ドア電車の登場」の解説
初期の電車は木造車体であったが、1923年(大正12年)以降鋼鉄製車体の電車が登場し、電車はより大型化していく。1929年(昭和4年)以降、鉄道省や南海鉄道、大阪電気軌道などには20 - 21 m級の電車が出現するが、電車の客用ドア数は片側3ドアが最大であった。 ドア数を増やせば座席は減少するが、客扱い能力が高まる。戦時体制下において軍需要員の輸送需要が高まると、遂に4ドア電車が登場した。 太平洋戦争中の1942年(昭和17年)に鶴見臨港鉄道が新潟鐵工所に発注したサハ220形・260形各2両が日本初の4ドア電車である。この電車は鶴見臨港鉄道が鉄道省に戦時買収された翌1943年(昭和18年)になってから使用が開始された。全長17 mとそれほど大きくないため、側面はまるでドアばかりであった。同年、鉄道省は関西地区で用いられていた20 m級2ドア電車のモハ43形を4ドア化改造して通勤対応型とした。これがモハ64形(後のクモハ31形)で、国鉄初の本格的な4ドア電車となった。 鉄道省は、さらに1944年(昭和19年)に徹底して簡素化された設計の戦時形通勤電車63系を開発した。この形式は工作や材質は粗悪であったが、単純化された20m車体に片側4ドアを採用し、ラッシュ時の客扱い能力に卓越した性能を示した。結局、戦後混乱期を通して量産され、1951年(昭和26年)までに700両近くが就役した。
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