1970年代、ソロデビュー
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「矢沢永吉」の記事における「1970年代、ソロデビュー」の解説
1975年CBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍後、キャロル関係の人間から離れ、一切のスタッフを総入れ替えし、キャロル解散から20日後の5月3日、初の渡米。渡米の準備は1974年末から始めており、キャロル解散5か月後の9月21日、ロサンゼルスレコーディングによるシングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」、アルバム『I LOVE YOU, OK』でソロデビューした。制作費はキャロルで得た印税を全て注ぎ込んだ。当時のシラケ世代の中で「ロックの世界から陽水、拓郎に挑戦するんだ」と先行するフォーク勢打倒を打ち出した。 キャロルを否定するような曲構成にファーストツアーでの評判は散々で、"キャロルの矢沢"を期待するファンが一気に離れた。9月27日の京都会館を皮切りにソロ初のツアーを行ったが、極端に不入りだった佐世保公演でのエピソードは、"リメンバー・佐世保"として『若い広場』を初め、矢沢の口からよく語られる。 1976年ソロデビューから1年ほどで"元キャロルの矢沢"でなく"ソロシンガー矢沢"として急速に認知を広めていく。作品も1作ごとに新たな挑戦を試み、ライブの動員も着実に増えていった。キャロル解散ライブの舞台であった日比谷野外音楽堂での1976年7月のステージ「ザ・スター・イン・ヒビヤ」は、ソロアーティストとしての矢沢の存在感を示すものとなった。 1977年当時のファンは、いわゆる不良少年、無頼者の印象の人間が多く、会場貸出拒否、ファンの暴走、世論など数々の難題があった中で日本のロック・ソロアーティストとしては初の日本武道館単独公演を敢行した。 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977「TRAVELING BUS Part1」を1月4日からスタート(8月26日までの日本武道館まで)。 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977「TRAVELING BUS Part2」を9月15日からスタート。 1978年CMソング「時間よ止まれ」が大ヒット、累計売上はミリオンセラーを記録した。同曲には、バックバンドの一員として坂本龍一や高橋幸宏、後藤次利らが参加している。 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1978「GOLD RUSH '78 PART-1」を3月20日からスタート。 会場周辺を機動隊が取り囲む厳戒態勢の下、8月28日に東京ドームの前身となる後楽園球場で空前の単独公演を敢行。 5月長者番付歌手部門(1977年度)で、ロックミュージシャンとして初の第1位を獲得。 7月、自著伝第1弾「成りあがり」を出版。100万部を超えるベストセラーとなり、社会現象となる。ライターを担当したのは糸井重里である。 新聞世論調査におけるこの年の「ヒーローと呼べる人物」として第1位王貞治に次ぎ、第2位に選ばれた。
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