1927年 赤坂霊友会と普遍的菩薩行としての方法論の確立
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「久保角太郎」の記事における「1927年 赤坂霊友会と普遍的菩薩行としての方法論の確立」の解説
角太郎は実兄の小谷安吉とその妻であった小谷喜美らを新たな同志として、昭和2年より赤坂に拠点を置いて(通称:赤坂霊友会)激しい修行に打ち込み、西田無学が創案した、無量義経と仏説観普賢菩薩行法経からの抜粋が中心であった経巻に、新たに「法華経」本経からの抜粋も加えて「青経巻」と呼ばれる独自の経典を1928年に編纂・発行した。 また、西田無学は個々の死者(有縁無縁の諸精霊)に法名を送る方法論を確立していたが、角太郎達はそうではなく、父系・母系に繋がる全ての先祖を対象とした「総戒名(自分の生存と、その生存に繋がる全ての人の存在を瞬時に想起することの出来る象徴)」をつくった。
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