19世紀における重要な輸出品
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「ロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニー」の記事における「19世紀における重要な輸出品」の解説
ロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニーにとっての初期の輸出車両としてはエジプト向けのものがあり、これはエジプトの総督にスエズ-アレクサンドリア鉄道の建設を依頼されたことによるものであった。これはスエズ運河の構想を受けたもので、総督はスチーブンソンの鉄道がスエズ運河よりも優れたものであるかもしれないと考えたものであった。会社は実際に着手し一部の区間は完成させた。しかしフランスによる政治的な反対を受けたため、工事を中止せざるを得なくなった。1849年にムハンマド・アリーが亡くなり、1851年に後継者のアッバース・パシャはロバート・スチーブンソンと契約してエジプト初の標準軌の鉄道を建設することになった。最初の区間、地中海岸のアレクサンドリアとロゼッタ支線上のナイル川に面したカフル・エル=ザイアットの間は1854年に開通した。これはオスマン帝国内における最初の鉄道で、またアフリカ・中東における最初のものでもあった。同年アッバース・パシャは亡くなりサイード・パシャが後を継ぎ、その治世下にカフル・エル=ザイアットとカイロの間が1856年に、そしてカイロからスエズの間が1858年に開通した。フェルディナン・ド・レセップスがスエズ運河を完成させたのは1869年であったので、これは地中海とインド洋を結ぶ最初の近代的な交通機関であった。当初はカイロ-アレクサンドリア間の路線はカフル・エル=ザイアットにおいてナイル川を80フィート(約24 m)の車両艀で横断していた。しかし1858年5月15日にサイードの推定後継者であるアフマド・リファート・パシャを乗せた特別列車が艀から川に転落し、彼は溺死してしまった。このためスチーブンソンは、この車両艀に代えてほぼ500 mの長さのある旋回橋を建設することになった。
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