1742年-1756年 マンハイムとローマでの学び
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「クリスティアン・カンナビヒ」の記事における「1742年-1756年 マンハイムとローマでの学び」の解説
少年時代、カンナビヒはマンハイムの宮廷管弦楽団のコンサートマスター、指揮者で作曲家、ヴァイオリニストのヨハン・シュターミッツからヴァイオリンを学んだ。1744年、カンナビヒは12歳でこの管弦楽団に学生入団(志望者、等)し、2年後に正規団員へと昇格した。1748年の「宮廷および州の年間予定 Churpfälzischer Hof- und Staatskalender」には、彼はモーリッツ(Moritz)の路地に父と共に住むヴァイオリニストとして掲載されている。 1750年、プファルツ選帝侯領選帝侯カール・テオドールはカンナビヒをローマへと送り、教皇チャペルの「司祭補佐官 maestro coadiutore」でありオペラ作曲家としても成功していたニコロ・ヨンメッリの元で修業を継続させた。カンナビヒは1753年までローマに留まり、ヨンメッリがシュヴァーベンの首都にある宮廷管弦楽団で最高位の楽長に任命されると師を追ってシュトゥットガルトへ移った。1756年、カンナビヒは2度目のイタリアとなるミラノを訪れ、そこでジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニの下でさらに研鑽を積んだ。
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