黎元洪とは? わかりやすく解説

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リー‐ユアンホン【黎元洪】

読み方:りーゆあんほん

れいげんこう(黎元洪)


れい‐げんこう【黎元洪】

読み方:れいげんこう

[1866〜1928]中国軍人政治家湖北省黄陂(こうひ)県の人。1916年袁世凱(えんせいがい)の死により中華民国第2代大総統となるが、翌年辞職1922年大総統再選されたが、翌年軍閥追われ政界引退リー=ユアンホン


黎元洪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 05:57 UTC 版)

黎 元洪(れい げんこう)は、清末民初の軍人・政治家である。第2代、4代中華民国大総統は宋卿。


注釈

  1. ^ 「妻のベッドの下」とする説もある。
  2. ^ 孫文はこの時期亡命先のアメリカにいた。
  3. ^ 政事堂国務卿:後に改組して国務総理。内閣の首班で首相に相当する。
  4. ^ この時、張勲自身は天津に残っていた。
  5. ^ この当時の中国で直隷派に同調しない層としては、中央に大総統の徐世昌、南部・西部は国民党及び地方軍閥が、東北地方には奉天系の張作霖らがいた。
  6. ^ 廃督裁兵:これは督軍を廃止して軍権を中央に集約し、軍閥による地方自治から文官による自治に切り替える事で、軍閥の弱体化による国内の安定を企図したものであった。

出典



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