ちんしょう‐ごこう〔‐ゴクワウ〕【陳勝呉広】
陳勝、呉広
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:48 UTC 版)
「項羽と劉邦 (小説)」の記事における「陳勝、呉広」の解説
始皇帝の死後、最初に反乱を起こした楚の遺民たち。秦の命令で兵役に動員されようとしていたが期日を守ることができず、罰せられることを恐れてやぶれかぶれで反乱を起こしたところ圧政に耐えかねていた民が続々と呼応し、大陸全体に反乱が頻発するきっかけを作った。扶蘇皇子と項燕将軍の名を騙って流民を糾合したことが功を奏してたちまち巨大勢力となり、かつて楚の王都だった陳に居を構えて「張楚」と国号を定め、それぞれ王と仮王(副王)となる。時勢にのってとんとん拍子に成功したものの、しかし両者とも元来さほどの才があるわけでもなく体勢を整え直した秦軍の巻き返しに対抗できずに軍勢を維持できなくなり、軍を四分五裂させてしまう。その後仲違いから呉広は陳勝に殺されるが、陳勝もほどなく配下の兵達に見放されて殺され、秦に投降する兵たちの手土産としてその首を秦軍に差し出された。
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