限界集落へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:25 UTC 版)
1995年(平成7年)、7世帯12人、平均年齢71歳となる。同年秋から七ヶ宿町が週一回の「福祉バス」の運行を開始する。それまでは山形県高畠町の医療機関や商業施設を利用する住人が多かったが、このバスによって七ヶ宿町の中心部へのアクセスが幾分か改善された。車は持っていても、冬の間は運転できないので、誰も免許を持っていなかった。1996年12月には、町が集落の北側と西側の入り口に「仙台藩山守足軽村 稲子」という看板を制作して設置した。この頃は柴田町から週に1回(水曜日)の行商も稲子を訪問していたが、すでに採算割れの状態だった。行商は軽ワゴン車を使って15-16年前から行われていた。稲子の住人が減ると、町から車で来て山菜やキノコを根こそぎ盗っていく人も増えた。 1997年の住人は6人で平均年齢は77.8歳、最若年者は68歳。6人のうち大葉富雄が原付バイクに乗れる以外は、住人自身での移動手段は無かった。最長老は90歳を超えてもこけし職人を続ける大葉亀之進だった。七ヶ宿町自体も過疎化が進行し、人口が2200人で宮城県内で最も高齢化が進んだ自治体となった。この頃は国道399号沿いに稲子地区の空き家や倉庫が15軒ほど点在していた。2001年3月には、地方選挙としての稲子行政区が廃止された。投票は稲子公民館で行われていたが、その後は稲子での投票所設置は取りやめになった。1999年、稲子でこけし工人を続けていた大葉亀之進が死去。その技術は長男の大葉富雄に受け継がれた。
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