阿部の昭和企画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:21 UTC 版)
「ALWAYS 三丁目の夕日」の記事における「阿部の昭和企画」の解説
平成に入ってから、阿部秀司は昭和、特に自分が少年時代だった昭和30年代の映画を作りたいと事あるたびに発言していた。ロボット社内の企画会議では「阿部の昭和企画」と呼ばれていた。「阿部の昭和企画」のシンボルは、幼い頃に見た建設中の東京タワー。阿部は東京タワーが少しずつ空に伸びていく姿を見た時の興奮や感動を映画の観客にも追体験してもらいたかった。 他のプロデューサーから西岸良平の『三丁目の夕日』というヒントをもらう。阿部にとって旧知の好きなマンガだったが、『三丁目の夕日』は劇画ではないので〔実写〕映画化は難しいように思えた。 既に昭和を懐かしむような懐古ブームが一段落ついた状態で、今から「昭和」を扱っても当たらないと意見された。また、「建設中の東京タワー」に一番興味を持ちそうな団塊の世代は、同時に、一番映画館に来ない世代でもあった。そのため、マーケットが存在しない「阿部の昭和企画」は大反対された。しかし、阿部は団塊の世代が映画館に来ないのではなく、団塊の世代が本当に見たい映画が作られてこなかった結果であり、団塊の世代800万人の1割でも映画館に足を運んでもらえる映画を作れば成功すると前向きに考えた。周囲には否定的な意見が多かったが、日本テレビの奥田誠治エグゼクティブプロデューサーの支持を得て、次の段階に進むことができた。
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