鉄道の計画から開業まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 14:50 UTC 版)
1912年7月、三田尻停車場(防府駅)を起点とし佐波郡柚野村(徳地町を経て山口市)大字横山にいたる軽便鉄道(軌間1067mm)敷設の申請書を提出した石三軽便鉄道は、発起人は地元の人以外では当時電気王とよばれた才賀藤吉と伊予鉄道創業者の小林信近が名を連ねていた。11月に免許状が下付され、1914年5月に創立総会を開催し、社長に神戸市の岩崎虔、専務取締役に中関村(防府市)の山根荘太が就任し、10月になり石三鉄道株式会社に改めた。そして12月17日から小野村(防府市)から工事に着手した。 ただ不況の影響で株式の払込は滞り、建設資金不足の問題が起こった。また社長の岩崎が別の事業で起訴される事件もおこり、社長を退任した。そのために1915年7月の臨時株主総会は混乱し工事中止の意見も出たが、8月に内容調査報告会において工事は継続することになった。そして前社長の不祥事により会社の評判を落としたので、1916年5月になり防石鉄道に改称し、1917年に萩出身の熊谷少間が社長に就任した。その間も資金難に苦しみながら、ようやく1919年になり三田尻-奈美間が開業し、翌年には堀まで延伸した。 さらに堀から横山までの残存区間(約18km)の工事に着手したが、資金不足で工事は中止となり、工事延期願いを再三提出したが、1936年に免許失効となった。また1921年4月に三田尻 - 三田尻港 間(臨港線)(約9km)の計画に対し免許が下付されたが、やはり完成させることは出来なかった。
※この「鉄道の計画から開業まで」の解説は、「防石鉄道」の解説の一部です。
「鉄道の計画から開業まで」を含む「防石鉄道」の記事については、「防石鉄道」の概要を参照ください。
- 鉄道の計画から開業までのページへのリンク