金銅僧徳聰等造像記
主名称: | 金銅僧徳聰等造像記 |
指定番号: | 1566 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1909.04.05(明治42.04.05) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1枚 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | 694 |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
金銅僧徳聡等造像記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)
重要文化財。飛鳥時代。長さ23.1センチ(枘を含み35.5センチ)。甲午年(694年)に作られた観音像の造像記である。像本体は失われている。縦長の銅板の上下に枘が作られているが、仏像のどの部分に取り付けられていたものかは不明である(光背の一部であったともいう)。銅板の表には造像の由来が3行に書かれ、それによれば、甲午年に鵤大寺の徳聡法師、片岡王寺の令弁法師、飛鳥寺の弁聡法師が父母のために観世音菩薩像を作ったという。銅板の裏面には法師らの出自が記されており、それによると、彼らは百済の王族で、日本では「王」姓を名乗ったという。銘文中の「鵤(いかるが)大寺」は法隆寺を指す。この造像記が作られた694年は、持統天皇が法隆寺の仁王会のために仏具類を施入した持統7年(693年)の翌年にあたり、670年に焼失した法隆寺が、20数年後には「大寺」と呼ばれるほどに復興していたことを示唆する。また、造像記中には飛鳥寺の名も見え、当時、法隆寺と飛鳥寺の僧の間に交流があったこともわかる。
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