金堂壁画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:03 UTC 版)
国宝。金堂の来迎壁(諸仏を安置する内陣須弥壇の背後にある壁)の中央部に描かれている壁画で、「板絵著色伝帝釈天曼荼羅図(金堂来迎壁)」の名称で国宝に指定されている。来迎壁の真正面に金堂本尊の釈迦如来像が立っているため、一般拝観者からは壁画はごく一部しか見えない。壁画は縦長のヒノキ材の板を横方向に5枚繋げた上に描かれ、白土下地に彩色とする。現状の寸法は、縦351.0 x 192.5センチメートルである。画面の中央やや下寄りに主尊(壁画全体の中心となる尊像)の三尊像が描かれ、その周囲は横に8列、縦に15段に諸仏が整然と並ぶ。画面の下方は絵具の剥落が著しく、図柄が判然としないが、縦の段はもとは16段あったとみられる。三尊像の中尊は、がいとう衣という唐風の衣を着け、くゆ座という毛織物の台座の上に坐る。左手には独鈷杵(とっこしょ、仏具の一種)を持ち、右手には、絵具の剥落のために判然としないが、何か三日月形のものを持つ。この壁画の主題は諸説あり不明であるが、1912年(明治45年)、美術雑誌『國華』に「帝釈天曼荼羅」として紹介されて以来、「伝帝釈天曼荼羅」と称されている。「帝釈天曼荼羅」という題名は、主尊の右手の持物を払子(ほっす、帝釈天の持物の一つ)と見なしたことによるものだが、前述のように、この持物が何であるかは現状の画面では判然としない。金堂の来迎壁は3間(柱が4本立ち、柱間が3つある意)だが、壁画があるのは中央間のみで、左右の間には何も描かれていない。左右の間を空白にしておくのは不自然であることに加え、中央間の壁画も取り付け方が雑であることから、この壁画は外部から移入されたものとする説もある。様式的にみると、本作は東寺御影堂不動明王像に付属する天蓋の絵画(9世紀前半)よりは遅れるが、天暦5年(951年)の醍醐寺五重塔初層壁画よりは先行し、9世紀後半頃に位置付けされる。当該時期の数少ない絵画作品の現存例として貴重である。
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