重要性の低下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 05:34 UTC 版)
ライムギの重要性が低下し始めたのは18世紀に入ってからのことである。このころからイギリスでは囲い込みや農業革命の進展によってコムギの生産が急伸し、コムギの一大輸出国となった。これに伴い、食味に劣るライムギの輸出が急減した。バルト海からのライムギ輸出量は、17世紀前半の50年平均が13.2万トン、後半50年が11.2万トンだったのに対し、18世紀前半の50年には6.4万トンと半分以下に減少してしまった。 その後も、19世紀ごろまではパン用穀物としてはコムギより使用量が多かったものの、食味などの点からコムギのパンのほうが常に高級とされ、コムギの収穫量増大とともに重要性は低下していった。ライムギの主要産地の一つであり消費量も多かったドイツにおいても、1850年以降ライムギの供給量は年間一人当たり60㎏から80㎏程度で停滞し、1900年ごろには供給量は60㎏程度で横ばいであるものの、コムギとほぼ同量の供給量となっている。1850年にはコムギの供給量はライムギの半分の約30㎏にすぎなかったので、経済成長や生産の拡大などによってコムギの供給量が急伸し、ライムギの重要性が相対的に低下したことが読み取れる。その後、1940年ごろまではコムギとライムギの供給量はほぼ同量となっているが、1950年にはついに逆転され、ライムギの供給量は一人当たり約30㎏となって、コムギの半分になってしまっている。しかもその後も、ライムギの供給量は急減を続けた。 現在ではライ麦粉は小麦粉よりビタミンB群や食物繊維が多いことを認められて蔑まれることはなくなり、健康的な食物としてヨーロッパ全土で栽培されている。しかし19世紀以後、コムギの作付面積が拡大するとともにライムギは栽培面積、栽培量ともに激減し、現代においてもなお栽培は減少の一途をたどっている。生産量が少ないため、僅かな不作でも価格が急騰する事があり、昔とは逆に小麦のパンよりライ麦パンの方が高値で取引されることも珍しくない。
※この「重要性の低下」の解説は、「ライムギ」の解説の一部です。
「重要性の低下」を含む「ライムギ」の記事については、「ライムギ」の概要を参照ください。
- 重要性の低下のページへのリンク