都銀懇話会の三羽烏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 06:19 UTC 版)
安藤太郎が、金融界で注目されるようになったのは、東京事務所所長時代である。当時住友銀行は大阪が本店所在地であり、銀行のみならず、住友系企業グループの経営基盤は関西が多かった。その意味において住銀の東京事務所は、東京を中心とする政財界の動きはもとより、各方面のさまざまな情報を収集する「東京探題」として重要な役割を担っていた。 いわば東京事務所は、秘書室と広報室と総務部をいっしょにしたような機能を持っていたわけである。安藤は常務時代、「都銀懇話会」での活躍が特筆される。当時、都市銀行がしょって立つ経営基盤の戦略は、すべて「都銀懇話会」で生み出されたものといっても過言でなく、都銀の経営ビジョンづくりのタスクフォースとして注目された。当時「都銀懇話会」で「三羽烏」と呼ばれていたのは、富士銀行の松沢卓二常務、三菱銀行の黒川久専務、それに安藤であった。松沢は後に、富士銀行の頭取、黒川は副頭取から三菱油化社長に転出した。
※この「都銀懇話会の三羽烏」の解説は、「安藤太郎」の解説の一部です。
「都銀懇話会の三羽烏」を含む「安藤太郎」の記事については、「安藤太郎」の概要を参照ください。
- 都銀懇話会の三羽烏のページへのリンク