連合軍による鹵獲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:47 UTC 版)
「タイガー131」も参照 1943年4月21日、第504重戦車大隊の砲塔番号131番のティーガーIが、チュニジアのジェベルジャッファの丘でのイギリス軍のチャーチル歩兵戦車との戦闘後に鹵獲された。その戦車は修理され、チュニジアでしばらく展示された後、イギリス本国に送られ徹底的に調査された。しかし米英など西側連合国はこのドイツ戦車がいかなる自軍戦車より優れていることが判明したにもかかわらず、ほとんど対策をとらなかった。これは、一つにはティーガーIは大量生産がなされないだろうという正しい推測による。また、アメリカ陸軍の戦術教条では、戦車というものは戦車対戦車の戦闘には重点をおかず、対戦車戦闘は駆逐戦車の担当となっていたことによる。一方イギリス陸軍はティーガーIの調査後、17ポンド砲を搭載したシャーマン ファイアフライやコメット巡航戦車を投入したが、後者は登場時期がライン渡河作戦以降であったため、ドイツ戦車と遭遇する機会はほとんどなかった。 1951年9月25日、鹵獲されたティーガーIはイギリス軍需省によってボービントン戦車博物館へと正式に寄贈された。1990年6月、本車が完全に稼動できるように修復作業が始まった。2003年12月、ABRO(陸軍基地修理組織)による大規模な修復作業の末、完全に稼動可能なエンジンを装備した131号車は博物館に戻された。今日、ティーガーIはボービントン戦車博物館において稼働展示が行われることがあり、その走行の様子を見ることができる。
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