農村と共産主義の伸張の素地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 06:08 UTC 版)
「第一次インドシナ戦争」の記事における「農村と共産主義の伸張の素地」の解説
ベトナムの社会構造の基礎は家族制度であり、これを基礎単位に広範な自治権をもつ村落が形成されていた。これら村落が独自の長老会議を集約点とする自治形態を保持し、強固な団結心を維持しつつベトナム社会の底辺をなした。それ故に歴代王朝やフランス植民地行政機関も村落自治に容易に干渉できなかった。 総人口の約85%が農業、牧畜、漁業産業に従事し、国民総生産額の5割から6割を占めた。フランス植民地省はこのような経済構造を変革させるために積極的に資本投下したが、前述の村落自治形態に阻まれ旧態依然のまま日本軍の占領統治を受けることになった。また、19世紀末頃からフランスは、村落ごとの共同経営形態である公田制に介入し、地主制度をおき親仏カトリック教徒を地主とした。その結果、1930年には全耕作地の8割が私有地となったが、農民の内約7割近くが小作人で、最大期で約6%の大地主が耕作地の60%以上を所有していた。1930年代末の南部コーチシナでは、米田面積の82%を人口の8%に満たない中〜大規模地主が占有し、6割の農民は土地を持たず、その他多くの零細農家がいた。 土地問題はのちの共産主義勢力の伸張の根源の一つとなる。
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