軍組織
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:52 UTC 版)
唐の軍は、府兵制の時代に、10人から成る「火」を最小単位とし、「火」が5つから成る50人を「隊」、「隊」が2つから成る100人を「旅」、「旅」が2つから成る200人を「団」とし、全国に600以上ある折衝府(800人~1,200人、初唐には600人~1,000人)が統括した。 それぞれの折衝府は、折衝都尉が責任者となり、以下、果毅都尉、別将・長吏、校尉、旅帥、隊正、副隊正、火長、衛士という官位になっていた。校尉は団を率い、旅帥は旅を率い、隊正は隊を率い、火長は火を率いた。副隊正から上位は、官品が与えられていた。功績が認められれば、勲官を受けることができ、府兵も校尉までは昇進することが制度上可能であった。折衝府は、十二衛は、(左右衛、左右驍衛、左右武衛、左右威衛、左右領軍衛、左右金吾衛)及び太子六宮六率(左右衛率、左右司御率、左右清道率)によって統括された。 十二衛はそれぞれ1名の大将軍と2名の将軍が置かれ、各衛は折衝府を40府から60府を統括し、各衛にも奉車都尉、司階、長史、録事参軍事、司戈・諸曹参軍事、執戟の順で官品を持つ軍人が置かれた。 杜佑の『通典』に引用する「衛公李靖兵法」によると、戦争の時には、将軍は兵2万人を与えられ、7軍に分けた。7軍は中・前・後・左・右軍、左・右虞候軍であり、2万の編成は騎兵4,000、弩兵2,000、弓兵2,200、跳蕩兵2,900、奇兵2,900、輜重兵6,000であった。戦いが終わると、将軍は朝廷に帰還し、府兵は折衝府に戻った。
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