越後斎藤氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:37 UTC 版)
越後の斎藤氏は、越後守護上杉氏の被官。その出自や越後に土着した時期については詳らかではないが、室町時代から戦国時代にかけて越後赤田城(現新潟県刈羽村)に居住していた。守護上杉氏の没落後は守護代長尾氏に仕え、斎藤朝信は長尾景虎(上杉謙信)の重臣として有名。 朝信は天正6年(1578年)、謙信死後の御館の乱では景勝方に属し、以後景勝に仕えた。朝信死後に家督を継いだその子斎藤景信も景勝に仕えたが、上杉家が会津移封されると、越後に残り、堀氏に仕えたと考えられている[要出典]。子孫は米沢藩に仕えた。江戸時代の斎藤氏については米沢藩#平侍(約70戸)を参照。
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