超世代軍の台頭と四天王プロレス時代に携わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 05:03 UTC 版)
「市瀬英俊」の記事における「超世代軍の台頭と四天王プロレス時代に携わり」の解説
1990年にSWS勢の大量離脱後、市瀬と同世代の三沢光晴、川田利明、小橋建太、菊池毅、らによる「超世代軍」が台頭する。彼らの台頭に市瀬の出筆意欲も掻き立てられ「ともに闘っているような、ハイな気分になっていた」と後日談として語っている。 その後も、前述の、三沢、川田、小橋、に加え、田上明を加えた四天王プロレスの代弁者として(全日本プロレスの番記者として)B,M社退社直前の1998年6月までの試合リポートを担当した。 また、2008年に発行された、週刊プロレス別冊『四天王プロレスFILE』の事実上主筆を勤める(頁4 - 5,「巻頭コラム」頁9 - 11,「ピックアップバウト」 頁35 - 39,「三沢光晴インタビュー」〔「ピックアップバウト」内のインタビューも合わせて取材〕を担当)。 2009年の三沢急逝時は、生前の三沢をよく知る人物として市瀬が様々なメディアから取材を受ける一方で、三沢との関係が最もデリケートであった川田へのインタビューも担当した。 2009年発売の週刊プロレス別冊『プロレス平成20年史』では、週プロ編集顧問の宍倉清則より(1992年に市瀬が担当した秋山準のデビュー戦の記事を見た宍倉がコラムを書くという記事の中で)「市瀬記者は派手さや大げささを好まない記事構成で、いかにも全日本ファンらしい(馬場イズムをよく理解している)」と評された。 一方で、1996年のターザン山本体制時の「地方で手を抜く新日本」に端を発した新日本プロレスからの取材拒否の際に派生した、週プロと週刊ゴング両誌面で激しいやりとりの際には(詳細は「週刊プロレス#週刊ゴングとの因縁」を参照されたい)、市瀬もゴングへの批評記事を書くことになり、批評記事を書いた結果金澤克彦より市瀬の記事に対する反論記事をゴング誌に掲載されたこともある。
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