諸公国の分立の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 01:38 UTC 版)
「キエフ大公国の分裂」の記事における「諸公国の分立の影響」の解説
諸公国の分立は、各地での都市の成長、植民都市の形成、文化の発達、経済活動の活性化につながった。分領制時代は、ルーシ全域の経済的発展を反映した、独立の政治・経済中心地が多数出現した時代とみなされる。ただし、各地への分権化は、ルーシ外からの侵入に対する防衛力の低下をも引き起こした。1230年代のモンゴルの侵入とその後の支配がたやすく行われたのは、この政治的分裂にその原因がある。なお、モンゴルのルーシ侵攻に限らず、分領制時代には、ルーシ北部・西部のポロツク公国、プスコフ公国、ノヴゴロド公国、スモレンスク公国等はドイツ騎士団やリトアニア人勢力の侵入に直面しており、またルーシ南西に位置するガーリチ公国は、ハンガリー王国からの政治的介入に見舞われた。 分領制時代以降のルーシモンゴルのルーシ侵攻は、ルーシの諸公国の諸都市を蹂躙し、1240年にキエフも陥落した。ルーシの東部・南部はジョチ・ウルスの統括下に置かれた。その後はリトアニア大公国が拡張し、同地を領有し始める。一方、北東ルーシではモスクワ大公国が台頭し、徐々に周辺諸公国を併合していった。ルーシの再統一(ru)は、14 - 15世紀に、この二つの大公国に統合される形でなされることになる。
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