諸々の考察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/06 01:47 UTC 版)
長英を時代的に見て、信明の子、または信明の兄弟と考える事もできるが、現段階ではそれを断定できるだけの資料はなく、難しい。風土記稿の伝承等から考察して東本庄館の生まれとも考えられるが(脚注の信明と長英の混同を参照)、それも現段階では断定できない。『本庄市立歴史民俗資料館紀要』では、実忠(16世紀の本庄城主)との関連も指摘している。 関連は不明だが、信明の曾孫である本庄実明(実忠の父)も「越前守」を称していた事が、本庄氏の系図と見られる姓未詳の系図に記述されている(『児玉町史 中世資料編』等)。この事から、児玉党系本庄氏に「本庄越前守」を称していた者が複数いたと考えられる。 上杉家の文書に、「本庄左衛門佐」とあるが、時家系本庄氏に左衛門佐を称していた武士は系図上では確認できず(同『町史』)、ほとんどの場合、「左衛門尉」や「左衛門督」である。遵って、この本庄左衛門佐なる者も謎の人物である。 長英の「長」を長男の意味と捉え、「英」を通し字と考えた場合、さらに謎が深まる。時家系本庄氏に「英」を通し字とした一族は今の所、確認できない為である(同『町史』諸々の系図)。
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