説経祭文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 10:08 UTC 版)
説経祭文(せっきょうざいもん、せっきょうさいもん)は、江戸時代中期、起源の異なる中世以来の芸能である説経節と祭文語りの双方が結びついて生まれた門付芸・大道芸である。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h 岩崎・山本(1988)pp.576-577
- ^ a b c d e f g 郡司(1953)pp.388-389
- ^ 荒木「解説・解題」(1973)pp.307-310
- ^ a b 荒木「解説・解題」(1973)pp.319-321
- ^ a b 室木「解説」(1977)pp.414-416
- ^ 室木「解説」(1977)pp.393-399
- ^ a b c 守随(1979)p.157
- ^ a b c d 郡司(1953)pp.208-209
- ^ a b c d e f g 山路(1988)pp.139-140
- ^ a b c d e f g 五来(1995)pp.59-64
- ^ a b c d 『民俗芸能辞典』(1981)p.193
- ^ a b c d e 吉川(1990)pp.42-44
- ^ 『大辞林』第三版「ちょんがれ」
- ^ 日本浪曲協会. “浪曲解説”. 2014年3月11日閲覧。
- ^ 松島(1979)p.635
- 1 説経祭文とは
- 2 説経祭文の概要
- 3 ちょんがれと説経祭文
- 4 関連項目
説経祭文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 05:11 UTC 版)
詳細は「説経祭文」を参照 中世に隆盛した説経節は、ささらや鞨鼓を伴奏に庶民に仏教を広め、浸透させてきたが、近世に入ると浄瑠璃の影響を受け、三味線も取り入れて舞台芸能として一時成功を収める一方、歌祭文と結びついて説経祭文となり、くずれ山伏や瞽女などによる大道芸・門付芸となった。 説経祭文で語られる演目には、歌祭文同様、心中物など世俗的な話題を扱ったもののほか、『俊徳丸』『愛護若』『苅萱』『小栗判官』などのように中世以来の説経節の演目もあった。もとより、野外芸能に回帰した説経祭文は、門や辻での芸能であることから、通常は段物の一段やサワリ部分だけを語るものであり、かつての宗教性は失われ、いちじるしく世俗化した。
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「説経祭文」の例文・使い方・用例・文例
- 説経祭文という語り物
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