誘導馬時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 04:47 UTC 版)
競走馬引退後は乗馬になるために去勢されたが、元来が非常に穏和な気性であり、筋肉質で馬格もよく、たてがみ、尻尾は鮮やかな白色と非常に見栄えが良かったことから、ぜひ誘導馬にと日本中央競馬会から要請があり、馬主からの寄贈という形で東京競馬場で誘導馬となった。その期待に応えて誘導馬としての適性を大いに発揮し、通常2年ほどかかる誘導馬への訓練を1年で通過。ともすれば歓声などに興奮してしまう馬も存在するなか、大観衆の前でも平静を保ちながら先導役を務める落ち着いた様子と、白毛馬のような美しい姿が相俟って競走馬時代を遙かに凌ぐ人気を獲得し、メジロファントム、トウショウファルコとともに東京競馬場の名物誘導馬の一頭となった。 しかし1992年ごろになって内股に腫瘍が発生し、ロンスパークは誘導馬の引退を余儀なくされた。いちどは復帰を目指して治療が行われ、4度に渡る手術が行われたが回復には至らず、1994年秋に死亡した。東京競馬場脇の馬頭観音にたてがみが納められている。
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誘導馬時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 16:29 UTC 版)
引退後は種牡馬試験を受けたものの、精虫数の不足が判明して種牡馬になれず、中央競馬会に寄贈されて東京競馬場において誘導馬の業務に従事する使役馬となった。通常、誘導馬は芦毛や尾花栗毛といった色彩の美しい馬が務めるものだが、メジロファントムは鹿毛ながらも風格ある姿勢で誘導馬を勤め上げ、競走馬時代の知名度もあって、東京競馬場の誘導馬の中でも有名であった。 1995年に高齢のため、自身も勝利経験のある目黒記念を最後に誘導馬を引退。当日は誘導馬であるにも関わらずパドックに登場し、ファンは彼の2回目の引退を惜しんだ。
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