西武401系電車 (初代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/26 02:11 UTC 版)
西武401系電車(せいぶ401けいでんしゃ)は、かつて西武鉄道に在籍した通勤形電車。日本国有鉄道(国鉄)より払い下げを受けた63系(ロクサン形)をルーツとする系列である。
- ^ 東武鉄道・東京急行電鉄(後に小田急電鉄および相模鉄道として分離独立した小田原線および厚木線へ導入された)・名古屋鉄道・近畿日本鉄道(後に南海電気鉄道として分離独立した南海線へ導入された)・山陽電気鉄道の5社に、各種事情からモハ63形の割り当てを辞退した西武・京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄。車両自体は京都線に導入させる予定であったが、車両限界の関係上大幅な改修が必要となるため辞退した)の2社を加えた計7社がその対象とされた。
- ^ モハ63092・63094の導入が予定されていた。同2両は後述モハ50形50118・50012と交換される形で国鉄籍に編入されている。
- ^ 西武初の20m車となる戦災復旧国電クハ1401形(初代・後のクハ1411形)の誕生は、割り当て辞退から4年後の1950年(昭和25年)11月のことであった。
- ^ モハ63形の割り当てを受けた鉄道会社には、同割り当て数と同数の保有車両を地方私鉄へ供出することが義務付けられていた。これはモハ63形の割り当てが直接的な対象である大手私鉄の救済のみならず、そこからの供出車両によって中小私鉄における車両事情の改善をも目論んでいたことによる。もっとも、供出数については厳密に守られた例はなく、一例を挙げると東武鉄道は40両の割り当てに対し従来車11両を、山陽電気鉄道は20両の割り当てに対し従来車4両をそれぞれ供出したに過ぎなかった。
- ^ 西武の場合、戦災復旧国電の大量導入のほか、同様に国鉄より払い下げを受けた老朽木造車を種車として所沢車両工場において鋼体化改造を行った車両を並行して導入することにより、戦後混乱期における輸送力増強を実施した。これは車両の調達に関して運輸省の統制を受けることを嫌った(現)西武鉄道の創業者堤康次郎の意向によるものであり、西武がモハ63形割り当て車のみならず運輸省規格型車両の導入にも興味を示さなかった理由も同様であるとされている。
- ^ a b 同車はモハ63046として竣功し、一旦東武鉄道向けに割り当てられモハ6300形として導入されたものの、竣功後半年足らずで台枠折損事故を起こし製造メーカーである川崎車輌(現・川崎重工業)へ返却された後、復旧の上モハ63470として国鉄へ再度納入されたという複雑な経歴を有する。
- ^ 1961年(昭和36年)10月に西武建設へ社名変更。
- ^ 端子電圧675V時定格出力128kW, 定格回転数780rpm.
- ^ 当時モハ401形は1両のみであったにもかかわらず「モハ402」を称したのは、同車が池袋・本川越方に運転台を有する偶数向きの車両であったことによる。
- ^ ただし、同時期に落成した501系初期車では屋根が鋼板仕様に改良されていたものの、同車は501系初期車の初期落成グループ同様木製屋根にキャンバス張りとされている。
- ^ 端子電圧675V時定格出力100kW, 定格回転数653rpm.
- ^ 西武における20m4扉車の正式導入は、本系列全廃から4年後の1977年(昭和52年)の2000系の新製まで待たなければならなかった。また、通勤形車両の主流が4扉車に移行するのは、さらに10年以上を経過した1988年(昭和63年)の新2000系大量増備以降のことであった。
- ^ その間、クモハ401は1969年(昭和44年)7月に台車をTR14Aに換装し、また時期は不明ながらクハ1401についてもTR23台車への換装が実施された。
- ^ 国分寺駅多摩湖線ホームの有効長の都合上、20m車では2両編成の入線が限界であり、同路線の輸送力増強は17m車編成の3両編成化によって実施された。
- 1 西武401系電車 (初代)とは
- 2 西武401系電車 (初代)の概要
- 3 概要
- 4 仕様
- 5 参考文献
- 西武401系電車 (初代)のページへのリンク