西武グループの構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 17:38 UTC 版)
「焼額山スキー場」の記事における「西武グループの構想」の解説
湯田中地区からの直接アクセス志賀高原の玄関口である湯田中温泉からロープウェイ、ゴンドラリフトを連結して、焼額山山頂に至るアクセス構想である。 地元の主要な地権者(入会権者)で、志賀高原における土地利用に強い影響力のある一般財団法人和合会の意向に左右されたくないという思惑から、同法人の権利が及ばない焼額山麓だけを経由して志賀高原に到達するルートの開拓を目的として計画された。 その第一ステップとして、焼額山西側の五輪山(1620m)北西麓において湯田中温泉街よりも400m高い標高1000mをベースとするごりん高原スキー場を開業させ、湯田中温泉とスキー場との間を湯田中ロープウェイ(全長3,156m、101人乗り。現在廃止。)にて結んだ(1987年)。 ロープウェイ山頂駅からは、更に6人乗りの「ごりんゴンドラリフト」と「ごりん第1リフト」(共に現在廃止)にて標高1,500mまで開発が進んだ。 ごりん高原スキー場の最高地点から焼額山頂に至る4km弱のルートには貴重な湿原地帯が存在したことから、自然保護団体による反対活動もあり構想は頓挫。ごりん高原スキー場の果たすべき役割は絶たれ2007年に廃業した。 苗場地区からのアクセス「焼額山スキー場」と新潟県南魚沼郡湯沢町に国土計画が開発した「苗場スキー場」「かぐらスキー場」をロープウェイなどで結び一大スキーエリアとする構想である。 長野オリンピックのアルペンスキー滑降コースとして構想された岩菅山山系の西斜面にスキー場を建設することにより、焼額山スキー場と岩菅山麓とを一体的に開発し、更には岩菅山系の稜線から魚沼地区の三国スキー場を経由して苗場スキー場とを結ぶ野心的な計画であった。 ごりん高原スキー場の開発と同様、自然保護への意識の高まりにより、1990年に長野県は国土計画とともに岩菅山系のスキー構想を断念した。岩菅山にて開催が想定されていた長野オリンピックスキー滑降競技は、八方尾根にて開催されることとなった。 この構想で実現した計画は、苗場スキー場とかぐら・みつまたスキー場(現かぐらスキー場)を結ぶドラゴンドラロープウェイ(延長5481m、標高差425m)ならびに、志賀高原から苗場方面への結節点となる三国スキー場(2004年閉鎖)。 岩菅山の稜線と三国スキー場頂部との間は直線距離にして約18km離れている。このため、現在最高速のロープウェイ(秒速12m)を以てしても所要に25分を要し利便性が悪いこと、途中に中津川渓谷(標高1100m)、佐武流山(同2191m)系、清津川渓谷(同1200m)、上ノ倉山(同2107m)系を横断する高低差の激しいルートであり相当の工事費と工事期間、技術力が必要であること、ケーブルの支柱や非常時における乗客の救出のための管理用道路があらたに必要なこと、ならびに、上信越国立公園の特別保護地区を通過すること、などの理由から実現には困難が多かった。
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