西修
西修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:48 UTC 版)
「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「西修」の解説
憲法学者の西修は『日本国憲法はこうして生まれた』(2000年)で、吉田、白洲、長谷川がいずれも記憶にないと言っている史料的証拠及びケーディスとウォードに直にインタビューし、両者が共に松本の「天皇の身体」発言を否定した結果から、「『天皇の身体』云々の発言が本当にあったのかどうかは、藪の中といわざるを得ない」としつつ、「マッカーサー〔ママ〕 の天皇戦犯に対する発言があったことは事実で、あるいは松本大臣がややオーバーに聞いたのかもしれない。ただ、そのような一つの言葉にもきわめて敏感にならざるを得ないほど張りつめた空気が支配していたことは確かであっただろう」とする。西は『図説日本国憲法の誕生』(2012年)では、松本以外に「天皇の身体」にふれた史料はないが「『最高司令官といえども万能ではありません』、『この新憲法(総司令部案)が受け入れられれば、天皇の地位は実際に安泰になるだろう』などの言葉を合わせて、松本がこの案を呑まなければ、『天皇の身体』が守られないと考えたのも不思議ではないだろう」としている。 西は同著で、1946年2月15日に白洲次郎がGHQに再考を促そうとして書いた手紙、いわゆる「ジープ・ウェイ・レター」に対するホイットニーの回答-「外部から日本に対して、憲法が押し付けられる可能性があり、そのときは最高司令官がなんとか保持を可能にしている日本の伝統や機能を一掃しかねない非常に厳しい内容になるでしょう」という内容-に触れ、「これは、決して脅しではなかった。というのは、極東委員会の設置が目前に迫って控えており・・同委員会構成国のなかには、天皇制廃止を強硬に主張している諸国もあったからである」としている。
※この「西修」の解説は、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の解説の一部です。
「西修」を含む「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事については、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- >> 「西修」を含む用語の索引
- 西修のページへのリンク