英語圏伝統地理学の発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:59 UTC 版)
ハルフォード・マッキンダー(1861 - 1947) アルフレッド・マハン(1840 - 1914) アメリカの海軍士官・歴史家であったアルフレッド・マハンは、1890年に『海上権力史論』を発表し、「シーパワー」の概念を唱えた。彼は、国家権力の決定的要因は海軍力をはじめとした海上権力(シーパワー)を持つ勢力によって決定されると考えた。マハンは、国家の地理的位置・自然的形態・領土の範囲・住民の数・国民性・政府の計画の6条件がシーパワーに影響すると主張し、米国はシーパワーたるべきであると説いた。 イギリスの地理学者・政治家であるハルフォード・マッキンダーは、1904年に「ハートランド」の概念を唱えたことから、英米圏地理学の祖として位置づけられている。マッキンダーは世界を「ハートランド」「外部弧状地域」「内部弧状地域」に区分し、コロンブス以前のヨーロッパはユーラシア大陸中央部(ハートランド)を拠点とする騎馬民族に蹂躙されていたと述べた。マッキンダーいわく、新大陸発見により、ヨーロッパ人が世界の海洋に進出するようになると、シーパワーがランドパワーを優越する時代が到来した。彼は、19世紀後半以降、鉄道の発達にともない、再びランドパワーが優位に経とうとしているが、シーパワー国家であるイギリスはこの変化に対応できておらず、ハートランドを占拠する勢力であるドイツとロシアが同盟することを阻止しなければならないと主張した。 1919年の『デモクラシーの理想と現実』においてもマッキンダーは「東欧を支配するものはハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島を制し、世界島を支配する者は世界を制する」と、ハートランドの脅威を強く主張した。彼は、第一次世界大戦後の東欧に緩衝国家群を作ろうと尽力したが、これは実現しなかった。1907年の「帝国的に考えること」における、「私たちの目的は、すべての人々が帝国的に考えられる、つまり、世界大に広がる空間で考えるようになることです」という主張に象徴されるように、マッキンダーの関心は、マクロ的な地理観をもって、世界における大英帝国の地位を守ることにあった。
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